金澤弘和VS東孝 対談③ 空手しか知らない人聞は限界があります

この対談は『月刊空手道』(福昌堂発行)1987年8月号に収録されたものです。肩書は掲載当時のものです。

 

金澤 例えば、ヨーロッパの連盟のですね、ルールを最初につくったのは私なんですが、蹴り技を大いに奨励しようという事で、上段への攻撃の場合は、少々遠くても、または当たっても一本という事にしたんです。特に外人は足が長いから空手は蹴りだ、という事でそういうルールにしたんですが、でも本当は、実戦という事を与えれば手技第一なんですね。

東 なる程、確かにその通りだと思います。手技も充分に使える上での蹴りなら、それは非常に価値があるんですが、何が何でも蹴りだけだ、となってしまっては問題だと思うんです。

金澤 そうですね、突きがあるという前提で、さらに蹴りを使わせるという事ですね。そうする事によって若いうちには技術も伸びますし、見ていても楽しいんですよ。でも、しかし本当に実戦を考えれば、「先の先」で突きが速いし、金的を蹴ったり下段を攻撃する方が理にかなっているわけです。そういう事を東先生は求めているわけなんですね。

東 先生がおっしゃったように蹴りだけを与えたら絶対外人、黒人には勝てないと思うんです。第一あの足の長さと跳躍力は凄いですよ。だからこそ自分はどうしたら彼らに勝てるか、という事を考えたらですね、金的は蹴るべきだし、さらには、空手という枠をはみ出してしまうかもしれなくても、投げを認めなくてはいけない、といかざるを得ないんです。それにこだわり抜いた結果、今の大道塾が生まれたんです。空手という一つの規制からは、たとえ外れたとしても、格闘技として生かすためには、いかにその統制をとり除いていくべきか、という方向をですね、自分なりに模索しているわけなんです。

金澤 だからね、本当に実戦という事を考えるとですね、エスカレートせざるを得ないわけですね。やはり実戦とね、ルールのある試合は違いますからね。だから空手も本来、格闘技であるわけなんですが、実戦という事を考えると非常に難しくなってくるわけですね。ですから私はこう思うんです。中学校や高校ぐらいまではね、柔道とか相撲とかボクシングとかね、色々な事をやらせたいんです。それから空手を本格的にやらせればですね、そりゃ強い空手家が生まれると思うんです。空手しか知らない人間には限界がありますよ。結局、一つの枠にはまってしまうという事なんです。それしか知らなかったら、他のまったく想像もつかない変化に対処しきれないんです。私も色々な格闘技を経験してわかるんですが、筋肉とか色々な反射神経を含めて空手以外のカというのも実戦を与えれば確かに必要だと思います。

東  自分も、だから突き蹴り、役げ、さらには締め、関節技なども練習しているんですが、よく一度にすべてを認めるとバラバラで中途半織になってしまうという人がいるんです。だから自分は練習体系にステップを設ける事によって、例えばある程度のレベルまでは組手は極真ルールでやらせ、また別に組み技のみの練習をさせ、次のステップで初めて大道塾ルールを行なうというように、そういった事は一番重視しているんです。そして、やはり空手である事、突きと蹴りで相手を倒すという事が基本であり、最終目的であるという事は忘れてはいけないと思うんです。

金澤 そうですね。私も色々な技や対処法を知ったうえで、最後は突きと蹴りの一発にすべてを賭けるという、空手の理念だけは忘れてはいけないと思います。