金澤弘和VS東孝 対談④ 海外では流派もルールも関係ないんです

この対談は『月刊空手道』(福昌堂発行)1987年8月号に収録されたものです。肩書は掲載当時のものです。

 

―― さて、金澤先生は相変らず世界を飛び回っていらっしゃるわけですが、また、東先生も海外での経験などもおありになるという事で、現在、海外における空手というのはどのようになっているのでしょうか?

金澤 私はもともとハワイが海外指導の初めなんですが、やはり国民性の違いというか、なかなか外人は武道というものを理解するのが難しいようですね。現在私の国際松濤館は57か国に広まったんですが、そのような苦労は大きいです。

東 自分は極良時代に、アメリカ、ハワイ、オーストラリアなど行かせてもらったんですが、最近はどうなんですか。海外の方がどんどん強い選手が出てきているようですが。

金澤 海外では武道というより、スポーツとして空手が発展してきまして、練習量も日本に比べ随分多いです。ですからどんどん強くなってますね。世界中回ってみても、よく聞かれますよ。国際試合なんかでも、なんで日本の選手ばかり目を腫らしたり怪我したりして負けるんだってね。でもそれはやっぱり練習量が足らないんだと思いますよ。

東 それに、自分が感じたのは、向こうの連中というのは、組織とかいった制約をものすごく嫌いますよね。だから流派やルールが違っていてもどんどん同じ大会に出ますよね。それがある意味では試合に勝たせるのにプラスになっているんじゃないでしょうか。それに対して、日本というのはすべて組織単位で動くという風潮が強い国だから、そういう事をやっていると自然に浮いてしまうというところがあるんです。まあ、それがプラスになる一面もあるんですが……。外人は空手だといいながらも、テコンドーの試合に出たり、マーシャルアーツの大会に出たり、こっちの感覚では無茶苦茶な事をやりますからね。こうして色々な技を盗んできて身につければ強くなるでしょうね。

金澤 私がヨーロッパなどに行って指導する場合、松濤館だけじゃなくて色々な流派の人達が参加するんです。剛柔流もあれば、極真の人達も、流派、ルールも関係ないんですね。そこで基本から一緒に汗を流して頑張るんです。やっぱりそれが大切なんでしょうね。
 それに、今度フランスに行ってびっくりした事があるんです。フランスの選手全体が非常に真面目になったんですね。そしてデルクール会長に会ったらこういうんです。「我々は空手は武道であると思うし、流派も認めている。そうでないと空手も柔道の二の舞になる」というんです。現在フランスでは柔道の競技人口というのは国内のスポーツの中で三番目なんです。空手は七番目なんですが、それでも最近柔道人口は急激に減っているというんです。それは柔道がスポーツだ、スポーツだとしてやってきたからだというんですね。やはり空手の武道性は忘れてはいけない、だから「フランスでは空手は武道だ」という事で意識改革を行なっているんです。この調子だと増々強くなるでしょうね。