この対談は『月刊空手道』(福昌堂発行)1984年11月号に収録されたものです。肩書は掲載当時のものです。
―― それではこれからの格闘技、空手というのを考えた場合、オリンピック問題などについてはいかがでしょうか?
東 それはよく、空手の人達も言っているように統一っていうのが前提にないとだめだから空手はまず無理でしょうね。
白鳥 それに普及、世界の普及というのも問題だね。もっともオリンピック、オリンピックと言っても大した事ないんだけど、お祭りだから、メダルも出るしね、何か参加したくなるんじゃない。
東 でもオリンピックについて言えば、この前のロサンゼルスの時もそうなんだけど、日本人の場合純粋培養っていう面が多分にあるような気かしましたね。
白鳥 オリンヒックについてはよく言われているけど、日本人の場合は乳離れができてないような気かしますね。試合についても日本選手は国際大会にあまり出ないんだよね。指導者についても、適当に遊ばせる時は遊ばせておいて、パッと引っぱっていくという主導性というのが必要じゃないでしょうか。
東 でもこの前のオリンピック中継を見ていても、日本人は精神力がないってよく評論家とかが言ってましたけど、どうでしょうか。
白鳥 いや、日本人だって外人だってみんな死ぬ気でやってますよ。精神力なんて日本人はすばらしいですからね、誰も悪くはないんです。選手もコーチも監督もね。たた純粋培養で海外の大会の経験があまりないためプレッシャーに弱いという面は確かにあるけど。
―― 日本人は、お国のためという意識があまりに強すぎるとも言いますが……。
東 でも日本人がスポーツに限らず経済でもここまで発展して来たっていうのは、そういう意識があるからだと思いますよ。
白鳥 そうなんです。だから誰も悪くはない。ただ、体力的、技術的に弱いから負けただけなんです。それに尽きるんです。だけど、強いてそういったプレッシャーとかいうことを考えるならば、そこに格闘技についても同じような、今後についての大きな課題が潜んでいるような気かするね。
―― どういった事でしょうか?
白鳥 もちろん体力、技術にも関係するんですけど、日本人の場合は一つの競技っていったらそれしかやらないでしょ。それ一本って感じで。他は見向きもしない。一つに打ち込むと他のものが馬鹿に見えちゃうんですね。俺がやっているのが一番だみたいな。それがいけないんだよ。
外人の選手なんか決っして一つの種目だけやってないでしょ。一つを一生懸命やるけど、遊びで色んなスポーツをしたりとかね。カール・ルイスだって陸上たけじゃないよ、テニスもやっているし。大体外人の一流選手っていうのは色んな事をやっているんだ。それが体力、技術はもちろん、余裕にもつながるんだ。だからね、格闘技についても同じ事。僕ね、柔道の山下がえらいと思うのは、柔道で世界一になっても真剣にレスリンクやったりして他のスポーツの優れた所を本気で吸収しようとしてるでしょ。そこが彼のすばらしいところだと思うんだ。
東 確かにそうですね
白鳥 だから空手もやりボクシンクもやり、ボクシングをやって柔道やるとかさ、色んな格闘伎をやってみるっていう事がね、本当に必要なんじゃないかって思うね。もともと格闘技の本質というのはパンチも蹴りも投げも締めもみんな含まれていたんだから。
東 ギリシャのパンクラチオンみたいにね。
白鳥 そう、他のものをちゃんと認めてさ、もちろん認めるためにはやらなくちゃだめよ。やってみてダメなものは切ればいいんだしさ。空手の場合もボクシングとかキック、柔道を技術的に否定するんじゃなくて、それらのいい所をどんどん吸収していけばね、格闘技としてもスポーツとしても、もっとすばらしくなっていくだろうね。ボクシングやってる人間はあれだけやって鼻潰し、顔潰して、レスリングやっている人聞は耳をカリフラワーみたくして頑張っているのに、最強、最強って言う空手の連中が今度は安全、安全って逆に言って、当てなかったりさ、顔面パンチを禁止したり、どこか間違っていると思うよ。
だから格闘技というのは闘争心があって初めて成り立つわけだから、闘争心を十分に発揮できるルールを決める事が第一だと思うね。もちろんスポーツとして安全は大切なんだから安全性も厳密にチェックしてさ、そういう風にして空手もこれから二十一世紀に向って変わっていくべきだと思うよ
東 そうですね。