東孝×白鳥金丸⑦ 空手にチームプレーを取入れられればね…(東)

この対談は『月刊空手道』(福昌堂発行)1984年11月号に収録されたものです。肩書は掲載当時のものです。

 

―― その他にこれからの課題といえば何があるでしょうか。

東 僕の場合、空手に関してみれば前からよく人に言ってるんだけど、空手とか格闘技っていうのは個人競技だから個人の独立心というかね、克己心とかそういうものを強くするにはいいわけです。だけどそれが行き過ぎると唯我独尊みたいに、自己中心的な面も同時に強くなる弊警があると思うんです。だから、これは夢みたいな話なんだけど、結局ラグビーのようなね、団体戦ってできないかなあって前から思っていたんです。

白鳥 具体的にどういうものなの?それ。

東 だから、今でも空手や柔道では団体戦ていうのはあるわけですけど、五対五の先鋒、次鋒、大将とかいう団体戦じゃなくて、ラクビーというか、ほらよく運動会でやった騎馬戦みたくさ、十人対十人のチームでお互いの旗を取って来たら勝ちとかのゲームをやればね、ずうっとチームプレーみたいのも生まれてくると思うんてす。

―― 野戦みたいにですか?

東 格闘妓っていうのはそもそも、そういった実戦からきてるわけだし、こんな事言うと笑う人もいるかもしれないけと、面白いと思いますよ。

白鳥 そうね、最近よくどんなスポ一ツてもみんな格闘技、格闘技って言いますでしょ。ラクビーも格闘伎、テニスも格闘技って具合に。全然違うわけよ。まあ、格闘技のように厳しいとかの形容で使ってるんだろらうけど、格闘というのはそういうもものじゃないですよ。格闘技というのは、勝つも負けるも、何もかもすべて本人の責任にかかるわけだし、その重圧っていうのはすごいですよ。だけど今、東君が言ったように、チームプレーの良い所を取り入れる事を考えたら、それなかなか面白そうだかね。十分にあると思います。

東 自分本気で考えてますよ。

白鳥 それにね、今、東君が言ったような事はさ、昔だったら子供の頃よくやっていたよね。

東 戦争ごっことかチャンパラとかね。

白鳥 今の子供達はやらないよね。何故かな。

東 こういう時代だから、僕がこんな事を言うと馬鹿だな!って笑わ一れるわけですよ(笑)

白鳥 それに僕はね、子供の頃からずっと相撲とボクシングなどの個人競技を中心にやってきたから、最近特に思うんだけど、やっぱりこれからの格闘技の将来を考えたらさ、もう少し子供達に学校でも格闘技など個人競技をやらせてもいいんじゃとないかな。今は学校じゃ集団、集団っていってチーム競技ばかりやらせてるてしょ子供に。序列を作らせないとか、危険だとか理屈いってさ。

東 昔はみんな子供の頃から相撲などよくとりましたよね。

白鳥 学校に土俵作って、小学校一年は一年同士、二年は二年同士で一位、二位決めてさ、体育の時間に毎回、まわしをつけてね。こういう事が大切なんですよ。今の子供は見ていてもまったく基礎体力がない。もちろ格闘技に限らずね、基礎体力をつけるためにも、そして小さいうちから勝負の厳しさを教えるためにも、もう少し格闘技をやらせた方がいいと思います。そうして初めて格闘技についても、底辺が広がっていくんじゃないでしょうか。

東 まさにその通りですね。

白鳥 格闘技の中でも空手はね、特に日本人のものだし、歴史的なものから考えてもまだまだ伸びる余地が十分あると思います。空手本来のいい面を縛っちゃだめですよ。そういう意味ではこれから東君にも頑張ってもらいたいね。

東 本当に技術の問題もみな含めてですね、単なる思い入れや理屈じゃなくて、実際やって試行錯誤しながら何かがつかめると自分は信じています。

(完)