阿部健一×東孝 格闘インタビュー① ’93ウォーズ激震か?!

この対談は『月刊空手道』(福昌堂発行)1993年8月号に収録されたものです。肩書は掲載当時のものです。

司会 生島隆

強さにこだわり続ける格闘集団・大道塾の長、東孝氏と、元祖マルチ格闘家、健闘塾の阿部健一。地昧で不器用ながら、格闘技にかける情熱はハンパではない、似た者同士だ。白熱の祭典、ザ・ウォーズの開催に賭ける東氏と、一年半ぶりの復活をザ・ウォーズ参戦で果たす阿部氏に、本音をぶつけあってもらった

トーワ杯が終わって、精神的に行き詰まっていたんです (阿部健一)

生島 いやあ、阿部クンが復帰するっていうんでびっくりしましたよ。

阿部 いやあ(笑)。

生島 健闘塾再開ということで、おハガキも頂いてましたが。

阿部 みんなあれですよ、こう上にいってるときはチヤホヤしてくれましたが、今年一年わかりましたよ、色々なことが。雑誌に出た瞬間電話かかってきますもん。

生島 そうですか。

東 まあね。こういう時代は、ある程度それは仕方がないよ。俺自身、自分で大道整やる時そう思ったよ。何ていうの、俺ってこれだけのカなのかと。それまで、東孝だと、東孝個人を認めてくれるんだと思ってたら、そうじゃなかったもんね。それは空手の世界だけじゃなくて、みんなそう思う。だから、看板はずしたときのカっていかにないか、そこではじめて自分自身の力を思い知らされた。

生島 なんで、健闘塾、休止してたんですか。

阿部 いやあ、去年でしたよね、生島さんと会ったの。トーワ杯終って、あの時、俺もうおかしかったんですよ。精神的に、もう行き詰まっているときで。

生島 元気になったら、また飲もうという話で・・・・・・。

阿部 いやあ、あれからはもっと悲惨だったんですよ。ずっと閉じこもっちゃって

東 だからさ、やっぱり運動やってる人聞はね、ずっと運動しなきゃダメよ。

阿部 そうですよね。

東 やっぱり、一番自分の感受性の強い時に、運動で自分を支えてきた人間ていうのは、運動やめるということは、支えるものをなくしちゃうことと同じだから。

阿部 俺なんて、ずっとボクシングやってきて、試合、試合じゃなかったですか。もう試合のことしか考えないんですよね。緊張感が、それで、ふっとなくなってしまって。

東 何やったらいいのかなと。

阿部 そうなんですよ。

東 世の中で俺っていうのは、何なんだと。自分が一番支えにしてる、しかも一番世の中にアピールしたものができないと思うと、もう俺何も出来ない人じゃないかって、そういう気になっちゃう。

阿部 ええ、ええ、そうすね。

東 俺だって、今だってそうだよ、自分で練習中ケガするじゃない。そうすると、俺もう空手できないんじゃないか、生徒の前で指導できないんじゃないかと思うと、本当、もう暗くなる。

阿部 もう汗流すの一番気持ちいいですよ。

 

北斗旗の雰囲気は
すごくよかったんですよ。
それをまた昧わいたくなった。

生島 ボクシングでは10戦でしたっけ。それでトーワ杯になったんですよね。そしてその参加がボクシングをやめる結果になってしまった。

阿部 ボクシングコミッションから通達がありまして、最初は大丈夫と思ってたんですが。

東 ボクシングとか、柔道は組織がしっかりしてるから、そういう所うるさいんだな。阿部クンの行動は、ある意味で、ひとつの経験みたいな感じだったんだろう。そこの所は空手的だね。

阿部 そうなんです。

東 そこまで深刻だと思わなかったんだ。

阿部 ハイ。

生島 で、実際終ってみて、ボクシングにも戻れない、それでもうどこにもいけないという気持ちになったんですか。

東 その時、健闘塾に戻れば良かったのに。

阿部 やっぱり、何か精神的にバランスが崩れてしまって、やる気っていうか、人に教えるのが自信なくなっちゃって、もう対人恐怖症みたくなってしまったんです。

生島 具体的に言うと、目標がまずなくなっちゃったということですね。

阿部 目標というより、生きることに対する気カがなくなって、もう本当、ノイローゼだったですね。色んなことに頭きたり、右翼の人とケンカしそうになったり。

生島 発散したいエネルギーはあったんでしょうね。まあ、時が解決するという言葉がありますが、今年になってからですか、落ち着いてきたのは。

東 2回目だったよね。電話もらったの。

阿部 東先生の声がききたくなりましてね。前にも北斗旗に出さしていただいたんですが、その時、すごく良かったんですよ。雰囲気が。それをまた味わいたくなって、それで先生に電話して北斗旗に出さして下さいって言ったんですよ。

東 それで会ってみたら、やっぱり一年のブランクの為か、身体ができてなかった。それで、北斗旗の体力別は見送れと言ったんだ。ただ、7月に、ザ・ウォーズのパート2をやるかも知れないから、もし、その気があるなら、全部調整して、出てみたらと言ったんだな。

阿部 自分としては、何ていったらいいのか、試合のための練習じゃなくてね。一日の生活があって、その中で練習がある。そういうスタイルが本当かなと思ったんですよ。その中で、戦う場があれば、出ていきたいと思ったんです。プロのすごさもわかりますが。

東 アマチュアの場合は、自分がいかにそれに一生関わっていくかだと思うんだよ。アマチュアは、自分は現役の時が一番良かったから後はもう関係ないじゃダメだと思う。逆にプロは、まず現役の時だと思うよね。どっちも一長一短だから、後は、本人の生き方だと思うな。
 ただ、試合やる以上は、絶対倒そうと思ってやらないとダメだよ。それは、お互い、終わった以上もうどうしょうもないんだから、良かった、ありがとうと言うしかないから。だけどその時自分がただ単にきれいな試合やろうと思ったら、絶対悔いが残るから、後からもっと本気にやればよかったって。だから試合やる以上は、こいつを倒そうと思ってやらなきゃダメだよ。それは人格とかなんとかとは別だよ。飯村も、阿部クンとやるということで、すごく張り切ってやってるんだから、互いに逆につぶすつもりでやんないと。

阿部 はい。

生島 今、調子はどうですか。

阿部 気持ちは絶好調といえますが、あともう少し体重を落したいです。

生島 そこで、ちょっとお聞きしたいというが、僕らが心配しているのは、トーワ杯以降の後遺症があったのではということなんですが、

阿部 精神的には確かにおちこんでいたんですが、肉体的には問題はなかったんです。親も心配して、病院に行ってCTスキャンとか検査してもらったんですが、問題はなかったです。

東 俺も、阿部クンのお父さんとも話をしてその点は、安心しているんだ。