この連載は『月刊空手道』(福昌堂発行)1987年8月号に収録されたものです。肩書は掲載当時のものです。
ムエタイ・ショック
翌日、長田はさっそく行動を開始した。 見知らぬ土地を理解るには一人で街を歩くのに限る。騒音と排気ガス、日本では、まったく廃車同然の車でごったがえす大通り。食料品、雑貨を売る屋台が連なり、肉を燻る煙、麺を茹でる湯気が充満する裏通り、長田はこうしてタイの生活の匂いを膚で感じた。
午後、長田一行はニコム氏に連れられ バンコクのテレビ局BBCを訪れた。 ムエタイのテレビマッチがそこで行なわれる予定になっていたのだ。
さて、ここで少々バンコクにおけるム エタイの現状について説明しておこう。 ムエタイがタイの国技であり、五百年の歴史を有する事については知っている読者も多いだろう。現在10万人ともいわれる選手人口の頂点に位置するものとして、ラジャダムナンとルンピニーという二大スタジアムがある。 この二つは独自にランキングも作成しているが、選手達にとって、これらのランカーになる事、これらのスタジアムで試合をする事は大きな夢である。 国際式ボクシングでいう、WBA、WBCにあたるのが、ラジャダムナン、ルンピニーであると解していただければいい。 長い長い下積みを経験しながら、それでもほとんどの選手達はロ ーカルな試合のみで、その選手寿命を終えるという。
王室系のラジャダムナン、陸軍系のルンピニーという二大権威に対し、最近、 BBCテレビ主催によるテレビマッチが 話題性を武器に、レベル、格式についても急激に肉迫している。ここでも独自に チャンピオンを認定し、ランキングも設けているが、テレビというマスメディアの力はタイでも例外ではないようだ。 このテレビマッチは毎週日曜日、BBCの 特設リングで行なわれる。
長田は、ここで本場ムエタイに初めて生で触れた。 まずは会場の圧倒的な熱気に驚かされた。会場には、日本の空手大会で感じるような悲愴感はまったくなく、 ギャンブルに共通する観客の狂気じみた怒声と歓喜がうず巻いている。この日は五試合が組まれていたが、その前座からムエタイのレベルの高さに目を疑った。 前座はまだ中学生程度の“子供〟による 対戦だ。しかし、その技術といえば日本空手界のトップレベル、 いや、それ以上じゃないか! 長田は彼らのカウンターテ クニック、蹴りのスピードと威力、そして試合慣れした表情に、胆を冷した。 一 発一発の攻撃ごとに張り裂けるほどの歓声、その中で淡々と試合をする選手達。 長田と同様の感動を東も西も味っていた。「何といってもあの雰囲気でしょ。それ にまず驚いたわけですが、技術うんぬん というよりむしろムエタイという歴史の重さ、選手層の厚さに感動しましたね」 後に東もこのように語っている。試合が進むにつれ、長田も現役の空手家であ る、自然に体がうずき出し、武者振いが 止まらなくなった。この時、長田は初めて「こいつらと一度闘ってみたい!」と 痛切に感じた。
試合後、長田達はニコム氏のはからいで、この日の試合のプロモーターに会う事ができた。紹介されたのは、ソンポップ氏という、バンコクではなかなか顔役のプロモーターだという。ソンポップ氏 日本人の大男三人組に、少々驚いたジェスチャーを見せながらも、タイ人特有の人なつっこい笑顔を見せながら握手を求めてきた。
「どうですか、本場のムエタイは?」 自信満々の表情で長田達に語りかける。
「すばらしいですね。感動しました」東はニコム氏の通訳を通じて答えた。
「あなた達はカラテですか?」
「そうです。でも同じカラテでも、伝統スタ スタイルではないんです。私達はボクシングテクニックもとり入れた新しいイルのカラテなんです。だからムエタイはとても勉強になります」
「なるほど。ところであなた達は三人とも選手ですか?」
「いや、私は大道塾というカラテの師範です。でもこの二人は現役です」
「 しかし大きいですね。でも・・・・・・」 こういいながらソンポップ氏は、二人の中でも小柄な方の長田を指し、「あなたは何キロですか?」と聞く。
「オス、だいたい八十キロです」
「うーん、ヘビーですか……」そこで、ニコム氏はソンポップ氏に説明を加えた。
「彼はオサダといい、日本ではカラテのチャンピオンなんです」ソンポップ氏は大きくうなずいて、「それじゃ、せっかくだから試合でもしてみますか?」笑いながら語りかける。
東と長田は一瞬見つめ合うがそうですね。 ルールが違い、難しいが、練習試合でも、スパーリングでも、経験のためにやらせたいとは思いますが」こう東は答え、話題はそれだけで終った。もちろん、東も長田もその時点で、本気で試合を考えてはいなかった。
これが三週間後、現実になるのである。

