この連載は『月刊空手道』(福昌堂発行)1987年8月号に収録されたものです。肩書は掲載当時のものです。
ソッチラダージム
四月六日午後、長田達はやはりニコム氏の案内で、バンコク市内の名門ジム、ソッチラダージムを訪ねた。ソッチラダージムは、市内中心部からタクシーで約二〇~三〇分の郊外にある。 バンコクには大小、約三百のジムがあるといわれるが、その中でもソッチラダージムは伝統があり、多くの有名選手が輩出している。 現在は国際式のチャンピオン、サマート以外、ムエタイのチャンピオンはいないが、それでも常時十五~六名の現役選手を抱える大所帯だ。
しかし、名門とはいってもジムの造りはいたって簡素だ。 プレハブのトタン屋根の下にリングが組まれ、その周りには 数本のパンチングボール、サンドバックが吊られているだけ。もっとも他のジムもみな同じような造りであり、その中ではソッチラダージムが上の部類に入る事は確かだ。
この日も約十五人の選手達が集っていた。まず、トレーナーのチャリオ氏を紹 介してもらう。日本のカラテマンだという説明に、「おお、大きいですね」と笑みを絶やさない。概して、タイ人は驚くほど人なつっこい国民だ。〝日本の空手〟と いっても、日本人が想像するような“敵意”はまったく感じさせない。長田はここに来る時、日本の他流派の道場を訪ねるような、変な気負いを持っていたが、 それが完全に肩すかしを食ったようで、 どうもバツが悪かった。
練習は三時半に始まる。といっても空手のように全員が正座したり、または全員で号令を合わせて蹴りを出すような事はまったくしない。三々五々、各自が好きなように動き始める。シャドーをやる者、ロープワークをやる者、てんでまちまちだ。
長田は西とともに、チャリオ氏の好意で練習に参加させてもらう事になった。 ランニングパンツ一枚になり、まず柔軟体操から始める。 ここで長田はふっと不思議な事に気がついた。
「タイ人はまったく準備体操をしていないようだ。 柔軟なんてしないで、いきなり高い蹴りを出している。 体質が違うのだろうか」 そう思ってさらに観察すれば、タイ選手の体型も長田が思っていたものとは随分違う。子供の頃、日本でキックボクシングが流行していた当時、テレビのブラウン管を通して見たタイ選手は、みな一様に痩せ細っていた。胸は薄く、腕も足も枯れ枝のようだった。しかし、ここで見る選手達は、みな筋骨隆々としていた。 確かに日本人に比べて小柄だし、肩幅は狭い。だが肩の筋肉の逞しさ、締りきっ 生ゴムのような弾力性のある肉体、長いリーチはまさに“格闘戦士”としての風格を漂わせている。
四〇度近い気温、空手とはまったく雰囲気の異なる練習に、長田はぎこちなさを感じながら体を動かしてみた。それにしても、久し振りの運動だ。長田は昨年、 大学卒業後の進路問題のため、雑用に追われ十分な稽古をしていなかった。 特に十一月の大会以後、極端なほど稽古量を減らしていた。一日一時間動けばよかっただろうか。ひどい時には、三日間もまったく空手着を着ない日もあった。そのため体重も二~三キロ落ちた。120センチあった胸囲も98センチに減ってしまった。だからだろうか、幾分太陽がまぶしく感じる。それでもロープワーク、 サンドバック、シャドーを各1ラウンドづつ行なった。
しかし、いかに長田が不調であるといっても、そのパワーは驚くほどだ。ボクシングに共通するシャープな、そして多彩なパンチ、重い蹴りに、チャリオ氏を始め、練習生全員の目は釘付けになった。 特にチャリオ氏は、今まで見た、どの空手選手とも異なる動きに大きな興味を示 した。
「これがカラテか」
「そうです。日本の、ニューウェーブカラテです」
こう答える東に、今まで通りの笑顔でうなずいたが、内心穏やかではない。 実はこのソッチラダージムは、長田達に試合の話を持ちかけたプロモーター、ソンポップ氏がオーナーになっている。 チェリオ氏は当然、試合の件についてはソンポップ氏から聞いている。むしろ、長田がどの程度の実力なのか、詳しく探るようにいわれていた。そこでチェリオ氏は、長田にアドバイスするために長田と対してみた。とり合えず、左回し蹴りの蹴り方をアドバイスしながら、キックミットを持ち、長田の実力を膚で計算してみたのである。 「うーん、これは驚きだ」チェリオ氏はその後も、長田達が引き上げるまで、長田の動きから寸分たりとも視線をはずさなかった。
その夜、チェリオ氏は、さっそくソンポップ氏にこの日の事を報告した。タイ人は誇り高い民族として有名である。 伝統と名誉を何よりも大切にする。
それまでソンポップ氏は、自ら試合の話を切り出しながらも、内心は半分冗談のつもりだった。しかし、チェリオ氏の 話を聞いて急に表情が固くなった。 「これは面白い」
今度は真顔で、一人言のようにつぶやいた。

