ザ・ソウルファイター The Soul Fighter 北斗旗王者・ 長田賢一、 灼熱の ムエタイを征く 後編 ②

この連載は『月刊空手道』(福昌堂発行)1987年9月号に収録されたものです。肩書は掲載当時のものです。

ジムトレーニング

 その後二日間、長田は飲み物と食事に気を遣う事を中心に体調の回復を待った。体調が戻るまではジムでの練習量を最少限に抑えた。すると幸運にも、みるみる間に体の調子がよくなってきた。相変らずスタミナは心配だが、下痢も完全に治った。顔色もいい。

 長田はさっそくニコム氏に電話をかけた。体調を気づかうニコム氏に、今日から三日間、ジムに寝泊りしたいので口をきいてくれるよう頼んだ。 「体調はもう万全です」

 きっぱりと話す長田に、ニコム氏は快く引き受けてくれた。こうして長田はひさびさに晴れ晴れとした気持ちになった。 午後、長田はスポーツバッグに荷物をつめ込んでソッチラダージムにやってきた。タイ人の選手達は喜んで長田を迎えてくれた。それにジムには、ここで親しくなった日本人練習生の富田明がいる。

 こうして長田は三日間、ジムに泊りながら練習に精を出した。ただ、練習については当初の予定通り〝空手”のトレーニングに徹する事にした。 ここでの三日間は、ムエタイの技術を学ぶ事が目的ではない。ジムに寝泊りする事で、何よりもムエタイの匂いを膚で感じる事が目的であった。

 しかし、だからといって、とり合えず 首相撲や、肘打ちの防御法ぐらいは知っておきたかったのも本音だった。だが、 チェリオ氏は結局何も教えてくれなかった。毎日、三ラウンド程、自らキックミットを持って左回し蹴りを蹴らせるだけだった。もっとも、 この練習こそがムエタイで一番重要な練習だという事ではあったが・・・。

 朝のランニング、軽いシャドー。夕方からはジムで、ロープワークーラウンド、キックミット三ラウンド、サンドバック一ラウンドと、体調を気遣いながらも充分に汗を流した。 また、心配していた食事も、仲間の選手達がとても気を遣ってくれた。ここでの食事は、日本食とは程遠いものの、タイで食べたどの食べ物よりも美味しかったと長田は語る。ただ、 夜は寝つかれなかった。もちろんエアコ ンなどあるわけではない。三十度を超える気温の中、真っ暗な蒸し熱い夜を長田は一人、遠い日本にいる道場の仲間達を想いながら過ごした。