この連載は『月刊空手道』(福昌堂発行)1987年9月号に収録されたものです。肩書は掲載当時のものです。
記者会見
三日後、ホテルに 戻るとニコム氏がやってきた。今日、BBCテレビ局にて記者会見が開かれるので出席するようにと、 プロモーターのソンポップ氏から言付かってきたという。
記者会見など、長田にとっては初めての事だ。あまり乗り気ではない。しかし、記者会見に出席すれば、まだ見ぬ対戦相手、ラクチャート・ソーパサドポンに会う事ができる。それだけでも今の長田には大きな価値がある。第一いまだ、ラクチャートがどういう選手なのか、まったく情報が入っていないのだ。長田は記者会見にラクチャートが出席する事を確認してからこれを了承した。
夕方、長田はニコム氏とともにBBCテレビ局特設リングに向った。この日は 夕方からテレビマッチが行なわれていた。 記者会見はメインエベントの後、満員の観客、約三十人の報道関係者、そして二台のテレビカメラの前で行なわれた。 長田がリングに登ると、すでにラクチャー トは記者団の質問に何か答えていた。 目と目が合う。リング場で見せるすべてのタイ選手同様、まったくのポーカーフェ イスだ。 長田は試みに笑いかけてみるが まったく反応はない。しかし長田はこの時、ラクチャートの体が想像以上に大きい事に驚いた。ウェルター級といえば67キロ程度が普通だ。しかしこの日のラクチャートはどう見ても75キロ近くはありそうだ。 そして背も高い。 175センチ位だろうか。手足が長い。 長田はこの時、初めて自分が〝闘う”という 事を実感した。 その後、長田はいくつか の質問に答え、カメラマンの要求に答えてファイティングポーズをとり、ラクチ ャートと握手をした。
この記者会見は生放送でタイ全土に流された。一夜で長田は有名人になってしまった。翌朝、 ルンピニー公園で体をほぐす長田を見つけた人々はかわるがわる声をかける。握手を求めてくる人もいる。ホテルに帰ろうとした長田は、街頭の新 聞売り屋で自分の写真が載った新聞を発見する。
さすがの長田も戸惑いを隠せない。ホテルに戻ると西も興奮気味に話かける。「おい長田君、有名人になっちゃったなー。よく考えたらこれは大変な事だよ。 今までキックの連中ならいざ知らず、 空手家がムエタイのチャンピオンと闘った事はないもんなあ。 今、君は一つの時代をつくろうとしているのかもしれないんだよ」
いつもの西らしくない大袈裟な言い方に、それでも長田はまだ今一つ盛り上れない。考えてみれば確かに不利な事ばかりだ。ラウンド制の経験はない。グローブ着用も初めてだ。リング、ロープの感触もわからない。 完全なるムエタイルール、おまけにこの熱さだ。ライト、 熱気でリング上の気温は四十度を優に超えるだろう。そして試合中流されるあの独得の音楽。
「俺の動きや情報はきっとチェリオさん がラクチャートに話しているだろう。それに引きかえ、俺には相手の情報が全然入ってこない。ジムの選手達もみんな、「ラクチャートは大した事ない」というだけで何もいってくれない。少なくても、 俺が一年前のコンディションなら……」 当事者である長田はこの試合がいかに 不利であるか当然よくわかっていた。
ただそれを口に出すわけにはいかない。やるしかないのだから…。 こうして長田は 西に向って、精一杯の笑顔を見せ、
「オス!」
とだけ答えた。
