この対談は『月刊空手道』(福昌堂発行)1985年3月号に収録されたものです。肩書は掲載当時のものです。
大道塾主管による北斗旗空手道選手権大会も今年(1985年5月26日)で第5回を迎えることになるが、振り返ってみると様々な感慨が湧いてくる。精神的には、私の座右の銘ともなっている「大道無門」―苦しい事も悲しい事もすべて、自分の修業と考えて前向きに取り組め― という言葉が大きく自分を力づけてくれた。
確かに私の周囲に様々なことがあった。また私の取り組む格闘空手”に対する種々の意見も何度か私の耳に入ってきた。それらに対する私の技術的回答は数度、色々な機会に述べさせていただいたが、技術的面とは別にこういう意見もあった。
「どうせ顔を殴るのなら顔面プロテクターなど使用せず、グローブをつけて行なった方がよい」
「顔面プロテクターのために顔の表情が見えず面白くない」
等々である・・・。そこで今回と次回の2度にわたってこれらの意見に対する私の考え方を述べてみようと思う。
まず、クローブ使用についてである。私はそれについてまず第一に、我か大道塾が推進する格闘ルールは、単にショー的側面のみを重視したり、無謀な実戦性の追求のみから設けられたものではなく、安全性の確保をも十分に考慮した上でのものであると答えたい。
先日、プロボクシングの試合で赤井英和選手がKO負けを喫し重体となり、粟屋!という所までいく事件があった。 このニュースを聞いた時、以前から思っていたことであるが、グローブをつけての殴り合いの怖さを改めて思い知らされた。最近このような事故が相ついでいるが、そのルールに対する見直しも当然のこと、そのためのトレーニング方法、さらに現在の子供、若者達の基礎体力のなさなども含めもう一度考えねばならないと思うのである。
話を空手に戻そう。確かに私達は〝格闘空手〟と謳う通り、体力は劣っていても柔道、相撲に伍せる空手を目ざしている。しかしである。だからといって、「顔を思い切りいつも殴り合って、さあ強くなりました。しかし後遺症(パンチドランク)も残りました」では何の価値もないのである。空手を鍛練することにより、まず、グローブ使用についてである。 強さだけでなく、学生として、社会人としてより良く生きることが本義であるのにそれではまさしく本末転倒である。「格闘技として本物を追求することと、安全性を確保することは表裏一体でなくてはならない」こう考えたからこその顔面プロテクター使用であり、素手に固執しているのである。
その根拠を次にまとめてみる。
①素手とグローブの質的違い
同じ人間がグローブを着用した場合と素手で殴った場合では前者の方が衝撃力、カ積ともに増大する。(詳しくは「最強格 闘技の科学」吉福康郎氏著、 福昌堂刊を参照していただきたい)
②素手で、しかもプロテクターの上から殴ることでより頭部が保護される。
③ボクシングと異なり、空手にはラウンドがない。(北斗旗大会では、予戦で2 分、延長1分。ベスト8以上で本戦2 分、延長、2分、1分である)
④判定は「有効」から「技有り」「一本」 と細則があり、顔に関しては、5秒間 一方的に打たれた場合、即「有効」を取られる。
⑤ベスト8以前は体力制を取り、小さい者のダメージの蓄積を極力少なくする ようにしている。
⑥体力差がある場合は、「金的蹴り」を認め、それによって体力にまかせた突進を防ぐことができる。
⑦突き、蹴り、投げがあるため、顔面のみの殴り合いとは衝撃の蓄積が異なる。
さらに普段の稽古について述べるが、「大道塾では稽古の時も毎日、大会のように殴り合うのですか?」とよく聞かれることがあるが、とんでもない!道場では常時以下のことを十分に考慮している。
①補強運動では首の筋力を重点的に鍛える。
②毎回2時間半の稽古中、約束組手を1時間も行ない、目慣しを十分している。つまり「殴られて覚える」方式の無謀 な稽古を排除している。
③間合いの感覚を失なわないため、普段の稽古では顔面に対しては素手での軽い牽制の稽古を主としている。
④週1~2回顔面プロテクターを使う場合でも強打はさせない。
⑤基礎体力のできる4級まで(1年半~2年ぐらい)は組手において極真会ルールをとる。
など、二重三重どころか神経質な位の配慮をしているのだ。
私が、格闘空手は修得するまで複雑な課程をとらねばならないが、修得すれば長く実力を保てるといっているのも、この辺の事情のためである。
以上のことから結論としていわせてもらうならば、現在考えられる最も強力なエネルギーである原子力発電を認めるためには、二重、三重の安全性への配慮がなければならないのと同じように、実戦性、格闘性を追求する上で避けて通れない金的、顔面への攻撃を許すためには、合理的な思考と、十分な安全性への配慮 が必要でなければならない。そして我々は、それらを常に考え、実行しているのである。