この所、格闘技雑誌が空道、大道塾の記事をよく取り上げてくれている。先月の「フルコンタクト」4月号では、「空道躍進!世界へ向けて(前篇)」、5月号では「空道躍進!世界へ向けて(後篇)」に加えて、「空道特別昇段審査」として海外2支部長の昇段審査の模様を、一方、「Fight &Life」4月号(Vol.41)では、「2014北斗旗 第4回世界空道選手権大会」への道、として「我々の知らぬ間に空道は世界を席巻していた!」、又、「ゴング格闘技」5月号ではゴン格的拳闘で「“武人”長田賢一、我レ、武ニ生キ、私ヲ滅ス」等々。
数年前には考えられない異常ともいえる“盛況振り”である。これ等は全て’90年代からの「どっちが強いでショー」の“格闘技ブーム”が2000年初めに崩壊し、見る影もなく地盤沈下をしているかのような「武道・格闘技界」にあって、1981年の大道塾設立、2001年の空道創始を通じて「武道こそが社会を支える人材を養成し、日本を、世界を救う道だ!」との、不器用ではあるが、現代社会が忘れている「武道の原点」を頑なに守ってきた「空道の理念」と「大道塾の歴史」が、ようやく浸透し振り向いて貰えるようになったという事だろうか?(我々としてはそう思いたいものだが・・・)
天邪鬼(あまのじゃく)を言うようだが、残念ながらそうではないだろう。これらは全て、昨年のワールドゲームズデモ参加や、今年6月の日本外務省とロシアスポーツ省の後援による「日露武道友好年」への参加等々が、今までの「空道 大道塾独自の行事」としてではなく、様々な、より大きな機会に顔を出すようになった為に「空道の“イべント”とか“トピックス”」として取り上げられるようになったからだろう。更にはそれが来る11月の「2014北斗旗 第4回世界空道選手権大会」&「2014第1回世界空道ジュニア選手権大会」への注目へも繋がっているからなのだろう。何にせよ、設立以来の主義主張を通す為だったとはいえ、長かった暗闇のトンネルと抜け出たような晴れがましいような気になるのは、ご同慶の至りだ。
が、しかしこのようなイベントやトピックスで形成される、世論、世評というものは“ 移り気”なものである。即ち、この「世界大会の結果如何(いかん)」が、今後の評価にも直結していることを忘れてはいけない。例えは悪いが、言わば“格闘技ブーム”では注目されていなかった(自ら距離をおいていた=(イコール)一般的、世間的には「注目されていなかった」事になる)、“空道”という、まだそれほど“手垢の付いていない目新しい武道”に、世間がチョッと興味を持っただけなのだ。「これから、遠慮会釈なく“値踏み”される」という事を忘れてはならない。
過去10数年を振り返る時、順境の時には見知らぬ人もが集まるが、逆境の時には身近な人でさえ去る、という事を痛いほど学んだ。その時の為に「得意澹(たん)然、失意泰然」(※1)とか、「人と結びて有情を体す」(東京堂出版)でも触れたように「行蔵は我に存す、毀誉は云々」(※2)等々の言葉があるのだが、いざ現実にそうなった時には、頭ではそう思っても、心は中々そうは割り切れ(吹っ切れ)ないものだ。
※1 得意澹然、失意泰然(とくいたんぜん、しついたいぜん)・・「得意澹然(とくいたんぜん)」とは、物事が上手くいって得意な気分のときは、努めて淡々とした態度を示すこと。 「失意泰然(しついたいぜん)」とは、失意のときは、やせ我慢でいいからゆっくり落ち着いていること。
※2 原文は「行蔵(こうぞう)は我に存(そん)す。 毀誉(きよ)は人の主張、我に与(あずか)らず我に関せずと存じ候(そうろう)。 各人へ御示し御座候とも毛頭異存(もうとういぞん)これなく候。」
我が行いは自らの信念によるものである。けなしたりほめたりするのは人の勝手である。私は関与しない。どなたにお示しいただいてもまったく異存はない。
実際、好むと好まないとに関わらず、人生には何度かそういう逆境、苦境の時は必ずある。その時にへこたれない、潰れないためには何が必要なのか??それがこの世界の人間が日頃から(深く内容も考えないで?)“お題目”のように口にする“修行(※3)”の精神だろう。
※3 10年ほど前の宗教がらみの事件の為に、この言葉(修行)が敬遠され貶(おとし)められているが、(面白き事もなき?)この世(人世)を何とか全うするためには、この言葉は便利な、強力な支えとなってくれるもので、これらの逆境、苦境をも、今日的に言えば「ピンチはチャンス」即ち、「自分を磨くための試練」や、それ以上に「自分の厚みを増すための好機」とすら捉える、強(したた)かさ、強靭さを思い起こさせてくれる言葉だ。(誰だって、「苦しい練習は嫌だが、人より苦しまなければ強くなれない。やるかー!」と同じだ 爆)
最近の日本は「長年の平和な社会が生んだ」賜物で、そういう人世の実相と離れた、軽くて明るい人が持て囃される時代(“好青年”や“爽やかさ”ブーム)だが、それは偶々の僥倖のお陰で、多くの賢人、先達が言うように「人類の歴史は戦いの歴史である」。最近の国際社会の情勢を見ていると、「この平和がいつ崩れてもおかしくはない」というのが時代の足音のような気がする。だから、その為にも、若い時に、大なり小なりの「逆境に打ち克つ」という経験が必要なのだと思うが、日本人は基本的には、17条憲法以来の「和をもって貴しとなす国是、歴史」と、海に守られた島国ゆえの「国防意識の極めて弱い≒平和を愛好する民族」≒「争い事は直視したがらない」民族だから、一度の敗戦で「病膏肓に入ってしまい」なるべく武道とか武術という荒事からは目を逸らしたい。その為に、武道の本質を意図的に脇にやり、ただ単なる肉体的強者を生み出すスポーツの一種としか扱わないのが、敗戦国日本の「世界に対しての“処世術”」なのだろう。
例によって、わき道で説教してしまった(悪い癖だ 笑)。だから、「これから、遠慮会釈なく“値踏み”される」という事を忘れてはならない、以降に続くが、最近ちょっと露出が増えたからと言って、風向き(世評、評判)はいつどのように変わるか分からないので、調子に乗り過ぎないに越したことはない。しかしながら、引用した「得意澹(たん)然、失意泰然」は「良い時だからと言って調子に乗り過ぎず、淡々としていろ。一方、失意の時だからと言って、悄然となるな。落ち着いて嵐の過ぎるのを待て」と言っているので、何も「調子の良い時までしかつめらしい(陰気臭い)顔をしろ」と言っているのではない。
結論。“ノッテル”時には、その勢いを自分から削ぐ必要はない。塾生のみなさんは、最近の風向きに安心、慢心することなく、まだ「空道 大道塾」を認識頂いていない多くの人々へ、これらの雑誌があれば単なる言葉以上に説明、広報をし易いので、是非、手に取って(購入して 笑)、「空道とは・・・」と積極的に「空道大道塾」と「世界大会」の広報、普及(並びに「社会体育としての武道スポーツ・空道」という原点を忘れずに、自分自身の日々の精進)に邁進して頂きたい。
最後に、(しつこい! 笑) 最近、候補選手は「頑張ります」、「必ず世界を獲ります」と言い、選手でない塾生は事ある毎に、「自分は選手ではありませんが、世界大会の為にできる限りの事はさせて頂きます」とは言ってくれる。有難う!!そうなのだ。「世界大会」は選手のみがではなく、正に“総力戦”なのだ。何度も言うが11月14~16日間の「世界大会の観戦」と、それまでの「広報活動」、「友人、知人の観戦勧誘」を常に心掛けて貰いたい。それが即ち、「全塾生が参加する世界大会」になるのだから。(完全にセールストークになっているか 爆)
文書日付2014.3.27