コラム19 異種武道交流イベントによせて

編集部注)この文章は青森で開催された武道交流イベント記事(2015年2月23日掲載)へのコメントに加筆修正したものです。

嘗て、昭和柔道界の巨星、神永昭夫先生(※1)が、若くして亡くなった時にも「この人がいたなら日本の柔道界は盤石だったのに、と柔道界をあげて惜しまれた」と、空道のルーツである「大道塾」の初代理事長(※2)から聞いたことがあるが、斉藤(仁)氏(※3)の早逝もまた「柔道界にとって本当に惜しい人物を失くした」ものと思う。柔道というと(本人の意思とは関係なく)どうしても「世界の山下泰裕氏」(※4)が脚光を浴びがちだが、その当人すら「お互いにとって大きい存在だった (SANSPO.COM 1月21日記事)」と言っている。畑違いではあるが「技術的にも人間的にも評価の高い人物だ」と聞いていた。そのご縁でこんな良い企画が組めたのは、有難いことだった。感謝と同時に深甚なる哀悼の意を表したい。

こちらでも先日今、色々取り上げて貰ってる「スポーツゴジラ」発行元の「日本スポーツ学会」(長田渚左 代表理事 ※5)主催で、講道館で開かれた「スポーツを語り合う会」に参加することができた。その中で山下氏が「中国・南京やイスラエル、パレスチナ等での活動報告」 という演題で「柔道がいかに世界平和にコミットしてるか」という話や、筑波大学大学院スポーツ健康システム・マネジメント専攻長の菊幸一氏(※6)が「嘉納治五郎の魅力を語る」という演題で、「現代スポーツは嘉納治五郎から何を学ぶのか(※7)」という本を要約し「柔道の“教育性”や“文化性”の一方、加熱する“競技性”に、どう対応するか?」という、ウチにも当てはまる命題に関しての話を聞けたんだが、やはり柔道界に学ぶことは多い。

また、周知の事と思うが、柔術(寝技)は隔週でパラエストラ代表の中井祐樹師範(※8)に、本部の金曜日のクラスの後半に指導して貰っている。その縁で日大柔道部監督の金野潤先生の「柔道と柔術の技術交流を」という研究会にも参加させて貰えるようだ。パラエストラは武道という色は出してないのだろうが、柔道部出身の中井代表の指導する柔術は道の部分も残しているので、我々空道の選手も良い交流会になるのではと思う(勿論、組技や寝技主体だからアップアップするだろうが 笑)。

日本では少子化の影響に輪を掛けて若年層の武道離れがあり、国際大会に臨む予備軍育成はどの分野でも青息吐息である。何度も言うが、武道は日本の無形文化財と言っても良い重要な文化である。気付いていないのは武道をしない日本人だけだと、仕事のお蔭で100ヶ国以上は回って来たから、心の底から思う。また、海外では競技者がややもすると「勝てばいい=強くなればいい」式で捉えがちだが、武道を支援、導入してる社会的リーダー達の目的はそれのみではなく「社会を秩序の中で活性化させる」という事も大きな評価ポイントなはずである。だからこそ、貴重な国の予算を使って、武道を支援、育成してくれてるのだろう。

一方、武道母国である日本の場合、行政が放っておいても、武道は民間の支援でなんとかなってきたから「燈台下暗し」状態である。しかも、少子化の影響をもろに受け、競技人口の減少という面からも、行く末は厳しい。今迄の武道界のように、多くの人間が取り組んでいたから、技術体系の違いで足の引っ張り合いをする余裕もあった。しかし、今後はそんな”贅沢(?)“は許されない。少人数でも、違う体系の中から「根本的な違いはルール」として認めて、互いにとっての役立つ要素を学び合いながら、切磋琢磨しなければならない。即ち「武道母国日本の名誉を守る」という共通認識 (今はやりで言えば” 通奏低音(つうそうていおん)”か 笑)を元に、効率よく心技体を向上させ「己の分野では一歩も引かないぞ!という不退転の取り組み方をして行かなければ、日本武道の未来はないと思う。

閑話休題。ま、まだウチはにその前に、色々学び前進しなければならないことが山ほどあるんだが、そういう意味でも、今回のような機会を得たことは素晴らしい事だ。何にもまして、世界大会後、青森始め日本各地で、一般にはまだ耳慣れない「空道という武道」の選手が、一般だけでなくジュニアも含めて評価されることは本当にありがたい事だ。

本人たちの努力もさることながら、初めてそういう場に引き上げて頂いた、仙台市空道協会、平塚和彦会長(※9)を始めとする、各地での関係各位の方々のご尽力に心から、感謝申し上げます。

設立当初の「実戦性、安全性、大衆性を備えた武道」を創るのだ!と皆で、熱く燃えてはいたが、一人でいる時に湧き起こる「わぁ~俺たちはどこに向かってるんだろう・・・」という、えも言われない不安を思い出す時、この状況は夢のようである。重ねて御礼を申し上げさせて頂きます。

今回各地で表彰された選手や支部長、指導員、同じ支部の塾生諸君は、これがただ「自分たちの努力や指導、応援だけで達成できた」等とは決して思わないで貰いたい。「今日まで叱咤激励して頂いた多くの役員、後援者のお蔭だ」という事を忘れないで、しかし、まだまだ越えなければならない、山々に向かって行こう。

(初稿2015.2.23)

注(敬称略)

※1 神永昭夫(かみながあきお):宮城県仙台市出身の柔道家。日本代表として出場した1958年の世界選手権では準優勝。その後全日本選手権を、当時史上最多となる3度制覇(1960年,1961年,1964年)し、猪熊功とともに日本柔道界のトップ選手として君臨する(通称:神猪時代)。(ウィキペディア記事より引用)

※2 佐藤節夫(さとうせつお):初代大道塾理事長。現大道塾最高相談役。

※3 斉藤仁(さいとうひとし):青森県青森市出身の柔道家。ロサンゼルスオリンピック、ソウルオリンピック柔道男子95kg超級金メダリスト。(ウィキペディア記事より)

※4 山下泰裕(やましたやすひろ):柔道家。1984年ロサンゼルスオリンピック無差別優勝後、国民栄誉賞を授ける。引退から逆算して203連勝(引き分け含む)、また対外国人選手には生涯無敗(116勝無敗3引き分け)という大記録をもつ。(ウィキペディア記事より)

※5 長田渚左(おさだなぎさ):ノンフィクション作家。 近著に 『桜色の魂チャスラフスカはなぜ日本人を50年も愛したのか』 集英社刊。

※6 菊幸一(きくこういち):筑波大学体育系教授。同大学院スポーツ健康システム・マネジメント専攻長。

※7 菊幸一「現代スポーツは嘉納治五郎から何を学ぶのか」(単行本情報 Amazon

※8 中井祐樹(なかいゆうき):柔術家。パラエストラ東京主宰。現日本修斗協会会長。

※9 平塚和彦(ひらつかかずひこ):大道塾評議委員長。国際空道連盟顧問。全日本空道連盟副理事長。