第1回空道アジアカップ参加者レポート
盛岡支部 狐崎 一彦
先般、モンゴル、ウランバートルに於いて、初のアジアカップが開催され、東塾長を筆頭に、審判、選手、事務局総勢17名が参加した。
10月2日、成田空港を出発、途中、韓国インチョン国際空港を経由して、あの蒙古で名高い、チンギスハンのお膝元、ウランバートルに向けて一行は旅立った。そして、いつもながらの海外遠征、なにが起きても不思議じゃない。
……きっと何かあるはず、と半分、心躍り、楽しみも含め、期待感を持ち旅行道中がスタートした。
ウランバートル国際空港 夜23時着
大会前日、会場内において、昇級、昇段審査が実施され、同行した審判団(各支部長)は東塾長の審査指導の補佐を行った。特に、基本技、突き、蹴りについて丁寧に指導したわけだが、非常に基本ができていない人もみられ、いわゆる大雑把さが目立った。よく、これで生徒を指導しているなと思い、この時間しかない、我々は集中的に指導した。今日、一日の指導で、十分うまくなるとは思わないが、基本的な突きと蹴り、もう少しうまくなるよう方法を考え、努力してほしい。色々な諸事情もあろう、すべての参加者とは言わないが、海外ではこれで成り立っているようにも思えた。このばかでかい体で、あのパワー、更に技が身につけば、相当威力を発揮できるはず、日本選手にとっては、とても驚異的に思えるためその点注意されたい。
日本選手は、この日、明日の大会の軽量に備え食事制限をした者が数名みられ、計量が無事終わると、事務局の由美ちゃんが用意してくれたピザを美味しそうに食べる様子はなんとも微笑ましく思えた。明日の大会、日本人選手が独りでも多くの階級で勝ち上がれることを願い、我々審判団はその晩、ビールを片手に心から祈った。
審査会終了後、東塾長と共に、参加者一行記念撮影
自分と日進神山支部長
第1回アジアカップ大会 in ULAN BATOR
大会の試合内容は、髙橋英明先輩が詳細に記載しているため、自分から述べることはあえて差し控えたい。
ここで、自分なりの大会開催への所感と選手へのアドバイスについて述べてみたい。大会審判は、自分と日進神山支部長、浦和渡辺支部長、帯広飛永支部長、チリのラファエル支部長の5名で実施した(審判ができるのは、この5名だけ、つまり、審判がフル出場、休憩なしである)。2試合毎に、主審と副審を交替、監察は英明先輩が執り行うこととなった。自分は、ここ数年、全日本大会で、監察に従事しており、主審を全くしていない。少々緊張感を持って審判に臨んだわけだが、やはり、日頃、主審をしている、していないという差は大きい気がした。
正直、審判の動作等少々忘れていた部分もあったわけだが、審判を重ねていくうちに勘が戻り、やや安堵した。
モンゴルの気候は、やや肌寒く朝晩10度を下まわっていたが、日中の日差しは暖かい。この地方は草原であって、降水量が少ない乾燥地帯である。大会会場内は、ヒンヤリして、だまっているだけで全身が冷え、かじかむ感じがした。盛岡でいえば、11月下旬頃の気温であろうか。審判団は、体を動かすことで、その点も解消できたことが幸いだった。
外人勢の大会内容は、やはり基本技が雑であるのだが、相変わらずパワフルな動きをみせ、接近戦の技の応酬は凄いものがあった。この一発に、十分注意したい。試合中、主審をして間近で見ていると、余計その迫力を肌で感じとることができた。そのような中、日本人選手の奮闘ぶり、善戦が見られたが、本家本元の「空道母国」日本が他の国に対し、模範となる礼法や振る舞いがいまひとつ欠けていたことが残念に思えた。審判団一同、試合上に登壇する前に、皆でしっかりとメリハリあるジャジなり、動作など、心がけようと意思疎通を合わせた。
審判をしている際に、少し感じた選手がいることから述べてみたい。山田選手は、大きな声、礼法の動作については評価するが、もう少し落ち着いて試合に臨む姿勢が必要、あまりに気負いすぎていないか。確か、モンゴルの選手と対戦の際に、早い動きでの攻防、パンチが入ってダウンだった気がする。前に向かう姿勢は良いが、もう少し相手に入るタイミングと間合いを考えれば、勝てたような気がして残念でならない。
また、野村選手も非常に惜しかった気がする。相手と組合い、柔道となれば、そこは野村だろうが、パンチの打ち合いになると頭や状態がさがってしまい、あっけなくパンチをもらうシーンが多々見られた。もっともっと、パンチ技を勉強して練習する必要がある。
特に、目黒選手の試合は、少々注意が必要だと思った。結果、優勝できたが、目黒選手は、左のキックを出してはいたが、相手選手に蹴り足をキャッチされることが多かった。キャッチされてからのカウンターの突き、蹴りは幸いもらわなかったが、自分の攻撃する蹴りが必要以上にキャッチされているならば、少なからず機会を伺いながら、別の技を出すなど、コンビネーションのパターンなどを変えてみるべきと思うが、どうか。パワーに勝る外人との接近戦による技の応酬は、特に注意すべきである。力のはいったパンチが顔面に当たれば、KOにつながることはいうまでもない。概ね、日本選手は、外人に勝つために、もっともっと、体を作らなければならない。
日本選手の大会結果は、7階級中3階級で優勝することができた。自分と同じ東北出身である多賀城支部の今野京香選手が本大会初参加で女子の部において優勝することができたことは大変うれしく思った。今回の試合経験をバネに、次の大会、世界大会に於いて1つでも勝ち星をあげることを目標に掲げ、東塾長を初め、全日本空道連盟の期待に応えてほしい。
日本参加選手一同
優勝者-240 川下義人(日進支部) 女子 今野京香(多賀城支部) -250 目黒雄太(長岡支部)
大会当日、モンゴル支部に不手際があり(組合せができていない、掲示版を前日用意しておくように依頼していたが、用意されてない)、おまけに、開始時間になっても試合が始まらない(結局、12時半試合開始となった)など、様々にハプニング続いたが、初のアジア大会、無事に?終了することがでた。モンゴル支部長も同席し乾杯の合図により、大会の打ち上げを開始。なんとも言えないような気分、ビールがとてもうまかった。
さよならパーティ会場において、全員による記念撮影(中央:東塾長)
各国の諸事情は色々あるが、大道塾を通じて、皆の心がひとつになったと言っても過言ではない。とても微笑ましい光景があちこちのテーブルで見られた。
押忍、「モンゴル支部長、支部生の皆さん」、大会の準備等、大変お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
最終日、この日は、モンゴル支部の計らいで、バスで郊外にあるチンギスハンの大きな群像を見に行くこととなり、バス2台で移動した。市内は、車が大変混雑しており、人よりも車優先なのか、しょっちゅう、車のクラクションが鳴り響き、スモッグによる影響で、あまり空気が良くない。こちらに来てから乾燥の影響により唇が乾いたり、乾燥肌となっているような気がした。モンゴル地区独特の遊牧民が住む地域を通り、目的地であるチンギスハンの群像にたどり着き、お陰様で地域の風習やモンゴル民族の歴史に触れることができ、楽しい一時を送ることができた。
ドラゴンスピリッツ 川保天骨、鷹匠となる
この群像がばかでかい。モンゴル国民は、チンギスハンをいまでも崇拝している。歴史上、最強の男といわれた人物である。天骨は、最強?
群像の上から撮影、大草原が続く
こうして、国際大会は、無事、滞りなく全行程終了することができた。短い期間ではあったがとても刺激を受けたと同時に、大変良い機会を与えていただいた。
同行した支部長、選手たちとも情報、意見交換できたことも大きな収穫であった。東塾長自らが先頭に立ち、海外に在住する空道の道を志す異国の大道塾生に、考え方を正しく伝えることは空道を発展させる1つの手段であり関係者のひとりとしてうれしい。この度のアジア大会は、空道の新しいページにしっかりと刻み込まれたものに違いない。併せて、モンゴル支部の今後の活躍に益々期待したい。
海外に赴き、いつも感じることは、世界には、さまざまな政治や文化、伝統、諸事情等によって合理的に物事がうまくいかないこと。援助が受けられず困惑する出来事もあるよう見られる。我々日本人は、まだまだ豊かな国であり、世界の中心国であると改めて思う。
この度の国際大会に、審判員として参加させていただき東塾長には、心から感謝申し上げます。これを機に、益々大道塾の空道を通じ、大道塾の活動に精進していきたいと心を新たにしていきたいと思います。
魅力たっぷりの海外遠征、東塾長、事務局の由美ちゃん、大変おつかれさまでした。感謝の気持ちでいっぱいです。
押忍。