第1回空道アジアカップ参加者レポート
浦和・北本・大宮西支部長 渡辺 慎二
1.はじめに
2.10/2(金)
3.10/3(土)
4.10/4(日)
5.10/5(月)
6.10/6(火)
1.はじめに
押忍。浦和/北本/大宮西支部長の渡辺です。
10/2(金)~6(火)で、空道アジアカップオープンの審判役として、モンゴルに遠征してきました。私自身の遠征としては2011年の2月にモスクワで行われたW杯以来、約4年半ぶりです。
私は様々な異文化体験や刺激がもらえる海外遠征は大好きで、それでいつも「この刺激を自分だけのものにするにはもったいない」と思って毎回のレポートを書いています。今回もいつものように、どうでもいいような話も含めて(笑)、細々とエピソードを並べて報告します。超長文は申し訳ありませんが、読んだ皆さんにも自分がこの遠征に参加したかのような臨場感、ワクワク感を感じていただければ幸いです。
それではモンゴル遠征記、始まりです。
10/2(金)
今日からモンゴル遠征です。発着場所の成田までいつもは大宮⇔成田直通のONライナーというバスを利用するのですが、集合時間に上手く合いそうな便がないことと、万が一、事故渋滞でもあって集合時間に間に合わないということがないように(5年前のドイツ遠征では2分遅刻をしたばかりに小川支部長の厳しいツッコミにさらされたよなぁ:苦笑)今回は電車利用としました。
当日は、一部で「黒い三連星」とか「ジェットストリームアタック」(笑)とか呼ばれていた三つの連続台風が関東を直撃する予定だったのでヒヤヒヤしましたが、それも逸れたようでホッとして、それでも多少のダイヤの乱れがあるとの情報を受け、かなり余裕を持って早めに大宮駅に着いた、、、んですけれども、なんと人身事故発生で宇都宮線、高崎線とも大幅な遅延発生中。ガーン! 京浜東北線も止まっていて、駅構内は混乱状態です。情報も錯綜していて「あっちの線が次らしい」「やっぱりこっちに変わったみたい」とその度に動きまわるのですが、結局どれも来ないまま。余裕があったはずの時間はどんどんなくなっていきます。ようやく高崎線の電車が一本到着し、上手く乗れたのですが、今度はその電車が線路上で立ち往生を繰り返す。事務局の由美子さんに「ヤバいかも」「いや何とか大丈夫」「すみません、やっぱ無理」と都度都度メールしながらも、とりあえず集合時間11:30の10分前に成田に到着。ホッとしました。
電車から降りるとスーツ姿の多田君とバッタリ! ご存知の方も多いでしょうが、多田君は「川保天骨」のペンネームでドラゴン魂というマガジンを編集出版している人物で、元北斗旗中量級の全日本王者でもあります。その人相、風体はいかにも怪しいのですが(笑)スーツを着ていると「不思議と」ちゃんとして見えるなぁ(笑×2)。集合場所につくと私と同じ埼玉県在住の稲垣さんが。「あ、良かった。稲垣さんも問題なくついたんですね」と声を掛けたら「ONライナーで問題なく一時間前に着きました」とのこと。マジか~!? 私も素直にそっちにすればよかった(泣)。
一部の人の多少の遅れはあったものの問題なく全員集合。しかし今回の選手団はすごいメンバーですね。体力別の全階級のチャンピオン6名+世界二位の清水君。こんな豪華なメンバーでの海外大会参戦はおそらく大道塾史上初でしょう。選手とコーチは揃いのチームジャパンのポロシャツ(ネーム刺しゅう入り)、ジャージに着替えて記念撮影をします。昨年世界大会で支給されたジャージは欲しいと思わなかったけど(※某日本代表コーチは「こんなダサいジャージを着ろというのはほとんど罰ゲームですよ」と泣きが入っていたくらい:笑)、でも今回のシャツはかっこいいなぁ。私も欲しいぞ。しかし審判団にはない模様。う~ん、私だって気持ちはチームジャパンの一員なんだけどなぁ。いいさ、私も現役。いつか選手としてあれが着られるよう頑張ろう。
ここで塾長、由美子さん、多田君、コノネンコ師範は別便で行くことになっている為に隣のターミナルへ。私たちの方は出発までには2時間近くも待ち時間があります。長い、、、。飛行機に乗れば機内食も出るでしょうから、飯を食って時間をつぶすこともできません。どうしようか? 結局、稲垣さんとビールを飲んでいろいろと雑談しながら過ごしました。でもこういった時間も遠征時ならではの貴重で嬉しい時間ですね。
さて13:55出発。今回の便は悪評高き(?)大韓航空です。大丈夫だろうと思いつつも、何となく落ち着きません(苦笑)。着陸時にはガクン、ガクンと高度を下げたと思ったら、そのままドスンと「着陸というより着地(!)」といった感じで16:20ソウル仁川空港に到着しました。パイロット下手過ぎ。命が縮んだわ、ったく。
ちなみに10年以上前の話ですが東塾長に伺ったところによると「俺も世界各国で色々乗ってるけど一番上手いのはロシア人だな」とのこと。「軍人上りがパイロットとして雇われているから、やっぱり飛行時間、経験量が違う」ということですが「ただそれ以上にうまいのが日本人。繊細さが違うよ。すぅーっと降りていくもんな」とのことでした。
さあ韓国には着いたもの、ここからがまた長いです。次の待ち時間が3時間以上。成田でもそうでしたが、ここでも飯を食って時間を過ごすことができません。スマホで日本の皆に連絡を入れつつ、今度は英明師範と談笑して過ごしました。ところで、途中、スマホのバッテリーが気になり充電コーナーで充電をしていたのですが、目を離している間にコードを引っこ抜かれてそのまま放置され、ほとんど充電がされていませんでした(泣)。なんだかなぁ、こういうのってまず日本じゃ起こらないと思うんですが、、、(溜息)。人が使っているものを引っこ抜いて自分が使うこともないだろうし、万が一どうしても緊急でそうせざるを得ない状況になったとしても持ち主に断ったうえで、なおかつ自分が使った後はちゃんと元通りに差し込んでおくと思うんですけれどね。こういうのは「文化の差」なのか「民度の差」なのか? いいことも悪いことも含め、海外に出るといろんな経験をしますね。それが面白いんですけど。
19:55仁川発、23:00チンギスハーン空港着。仁川よりも更に荒い着陸でまたドキドキしましたが、まぁとにかく無事に着いたので良しとしましょう(苦笑)。
入国手続きをすませ、皆と一緒に空港の外に出ようとしたところで、なぜか私だけセキュリティーに呼び止められ、別室に連れていかれることに。気づいた稲垣さんがすぐに追っかけてきてくれて「俺たちと一緒だよ、トゥギャザーだ。問題ねぇ」と説明するも、一切聞かずに「スーツケースを開けろ」と要求するセキュリティー。いや、まぁ別にいいんですけどね、こっちはやましいところは全くないし。素直に開けたらチラッと見ただけで問題なくすぐに解放されました。まぁ当たり前の結果ですが、稲垣さんありがとう。助かりました。しかしこれを後で聞いた某選手、「いや、それ、稲垣先輩が『俺たちはトゥギャザーだ』って言ったら、向こうはなんか更に怪しくに感じるんじゃ、、、」と一言。おぉ、そうか! それは思いつかなかったわ(爆)。
ともあれ今度こそ無事外に。迎えに来てくれたバスの側面を見ると、デカデカとした大会告知のステッカーが貼ってあります。う~ん、金掛かってますねぇ。
ホテルまでの道は深夜にもかかわらず結構な交通量があります。まぁ首都にある国際空港の周辺道路という意味では、日本でいえば羽田周辺の首都高と同じということですから、この交通量も当たり前と言えば当たり前なのかもしれませんが、「発展するモンゴル」、その活力が十分に感じられる光景です。「スゴイですよ、長岡より全然車の量多いですよ」としきりに感心する目黒君。いやその比較、新潟県出身の俺以外には全然通じないと思うぞ(笑)。
ホテル着は24:00くらい。家を出てから17時間の長旅でした。たった時差一時間のモンゴルがこんなに遠いとは思わなかったぞ(苦笑)。ここのロビーにも大会告知の看板が立っています。このThe Ground Hill Hotelは大会スポンサーの一つで、今年7月にオープンしたばかりというピッカピカのホテルです。スゴイなぁ、やっぱり金掛かってるなぁ。今大会、期待できそうです。
部屋割りは、人数の都合でツインルームに一人きり。おぉ、ラッキー!!
25:15。シャワーを浴びて就寝。おやすみなさい。
10/3(土)
7:45起床。ホテル内が思いのほか暑く、また自分自身も興奮していたせいか、あまりよく眠れませんでした。特に途中、夜中にこむら返りを起こしてしまい、その痛みで目を覚ましてしまったのには参りました。考えてみれば、昨日一日中空気の乾燥している空港、機内、ホテルで過ごしていて、食事も機内食のみとごく少量。その間、特に意識して積極的に水分補給をすることもなかったので、完全に脱水症状ですね。(「いや、部屋になんかいるんじゃないか?」とは英明師範のお言葉。止めてくださいよっ、変なことを言うのはっ!:笑)。それにしても今年の夏合宿は熱中症でダウンしかけ、ここでは脱水症状と、やっぱり年齢的な問題でしょうか? これまで以上に身体のケアに気を付けないといけませんね。
カーテンを開けるとほぼ目の高さで朝日がまっすぐ入ってきます。まぶしっ! 太陽低っ! ここウランバートルの今の季節の平均最高気温が10~15℃、平均最低気温で1℃くらいだそうなので東京でいえば真冬並みです。そう考えれば太陽の位置もそんなものかもしれませんが、それでもかなり低く感じます。早朝というには少し遅い時間な気もしますが外には朝もやが掛かっています、、、と思ったらこれ、朝もやではなくスモッグなんだそう。モンゴルは火力発電なので、発電所の煙突からは黒煙がモクモクと吐き出されています。このスモッグも急速な経済発展に伴う代償ですね。そんなこんなも含めて、モンゴルは何となく昔の日本っていう感じがします。
朝食を摂りに16階のレストランへ。初めて食べるモンゴルのご飯ですが、何の変哲もないバイキング(笑)。ただ食材は少ないなぁ。みかんやらトマトときゅうりのサラダなんかが普通に食べられるのはホッとしたが(だって寒い国だし、ガイドブックを見てもほとんど肉料理しか紹介されていないんで、野菜不足は覚悟していました)、蛋白質はゆで卵しかない模様。自分で取って食べていたら、突然別メニューが盛られたプレートが。どうやら私達招待客にはスペシャルモーニングが用意されていた模様。なんだ、だったらこんなに取らなかったのに。でも昨日は機内食しか食べていなかったのでお腹がすいていたのと、カレー味のチキンが美味しかったので問題なく全部平らげました。ごちそうさま。
一方、選手たちはレストランには来ているものの、減量が心配でほとんど食べられない模様。ホテルに体重計もないので、念には念を入れて、、、ということらしいですが、まぁかわいそうだなぁ。
ところで以前から主張しているのだが、「減量して下の階級に出る」というのはもうダメにしませんか? 「素の状態で」「なるべく自然体で」闘うのが本来の武道のあり方のはずです。今回や全日本では前日計量、世界大会にいたっては4日前に計量を行っていますが、このやり方では「食事を抜いて、水も抜いて、計量の一瞬だけ体重を落としてしまえばOK」というやり方が成り立ちますが、先に書いたように、それは「武道本来のあり方」とは明らかに違うと私は思います。そうではなくて「当日、試合直前計量」にしてしまえばいいんです。現在のルールでは「自分の試合の二試合前には待機していなければならない」ことになっていますので、「その時、その場で」計量をすれば良いのです。そうすれば食事抜き、水抜きなどの無理なor不自然な減量は当然不可能になり、ナチュラルな体重で闘わざるを得なくなるでしょう。このやり方をすると階級変更を迫られる選手も多いでしょうが、それで各階級の選手層のバランスが崩れるようなら「-230,-240……」の区分けを「-235,-245……」とするとか、あるいはもっと極端に「-240,-250……280+」にしてしまうかとかで対応は可能でしょう。いかがですか? いいアイデアだと思うんですけれど、、、。
部屋に戻って一休みしたら、大会会場となるBuyant Uhaa sport complexへと向かいます。選手はそこで計量と調整練習。試合に参加しない者にはセミナーと審査会の予定なんですが、時間を過ぎてもイランチームが来なくて出発できません。由美子さんは「イランチームは遅刻の常習犯なんです」と溜息。分かるわ~。イスラムの連中はホントに時間にルーズ。エジプト遠征で私も散々あじあわされたもの。
もっとも日本ほど時間にきちっきちっとしている国民は世界中どこを探してもいません。どっちがワールドスタンダードかと言ったら、どちらかと言えば彼らの方かもしれません。例えば1分とズレずにダイヤ通りに運行される新幹線などは、先進国である欧米諸国から見ても「クレイジー」と言われるような代物、日本ならではの「異常なまでの」正確さです。日本の常識は世界の非常識とは昔からよく聞く言葉ですが、私が若いころにはそれは必ず悪い意味で言われたものです。「君たちは“間違っているから”、世界(と言う名の欧米)のやり方(価値観)に合わせなさい。グローバルスタンダードに従いなさい」と。でも実際に海外に出ていろんな経験をしてみると、確かに日本の常識は世界の非常識ですが、そのほとんどは「高レベル過ぎてついていけんわ。そんな社会を当たり前だと思わないで」という意味の方が多いです。「日本って本当に凄い国だ、素晴らしい国だ」と思わせられることが多いのですが、そういう部分はほとんどTVマスコミには載りません。今から思えばああいうのも、ある種の反日的なネガティブキャンペーンだったりしたのかなぁ?
ホテルを出発できたのは40分遅れくらいだったでしょうか? 郊外に向かって走っていると突然草原の中にドカンとどデカい建物が。もしかしてアレ? 会場デカっ! 到着後スマホで撮影しましたが、デカ過ぎて全体が写らないくらいデカいです。
中に入ってみるとステージ、横断幕、ポスター等、「金が掛かってるなぁ」というのが一目でわかります。モンゴルの支部長さん=ガントゥルガ氏も(失礼ながら)決してそんなやり手には見えないんですけどね。国やら企業やらから金を引っ張ってきて凄いなぁ。なんで日本はこういう国や企業のサポートがないんでしょうか? 世界大会などはあれだけの規模をやりながら、その実態は「東商店」とも言うべき徒手空拳のレベルでだものなぁ(溜息)。しかしそれを聞いた由美子さん、「確かにお金はないけど、でも運営のスムースさと選手への気配りでは東商店は絶対に負けませんよ!」と目をキラーン! 素晴らしいです、そのジャパンプライド。いや東プライドか!?(笑)
試合場はジョイントマットではなく畳が引いてあります。柔道の国際試合で良く使われているカラー畳で黄色(!)と赤のスペインカラーで構成されています。まぁカラフルでいいですね。ところがその畳、ワックスか何かが掛かっているのか表面がツルっツルです。私は今スタンスが肩幅の2倍くらいの四股立ちというちょっと変則的な構えをしていますが、それでは足がそのままつーっと滑って開脚状態になってしまい、構えることすらできません。海外での闘いは、まま予想外のことが起こるものですが、さすがにちょっとこれは考えたこともなかった。今後こういう場合に備えて「ちょっと構えも修正しておい方がいいかもな」と思いました。(←頭が完全に選手モード:笑)
それにしても、いつまでたっても始まらず。スケジュールってどうなっているんでしょう? セミナーの参加者はどこにいるんでしょう? 訳も分からずダラダラと時間だけが過ぎていきます。結局、セミナーはなし(だって受講者がどこにもいないんだもの)、審査を受験する人も、今回チームを引率してきた支部長さん他ごく若干名を除き、ほとんどが明日出場する選手という状況で、何が何だかよく分かりません。さすがに明日闘う選手たちに今組手をさせるわけにはいきませんが、「とりあえずそこまでは日本と同じように基本、移動、組技、約手、、、と(時間も押しているので)サラッと流していこう」ということでスタートしたのですが、、、基本が全然ダメです(泣)。どのくらいダメかと言うと、ほとんど昨日今日入門してきた人に教えるレベルです(泣×2)。指導をしようにもどこからどう手を付けていいのかわかりません(泣×∞)。結局初級者に対する指導のようにゆっくりと基本を説明し、繰り返すことだけで(組手以外の)審査が終了。なんだかなぁ、、、(溜息)。ただ海外勢の基本ができないことの半分以上は日本のせいです。要は「基本の形や意義を(日本が)ちゃんと伝えられていない」ということですから。例えばクエストのDVDの販売とかを国際的にできないんでしょうかね? それだけでもだいぶ違うと思うのですが、、。個人的にはずっと昔っから「You tubeに指導動画を上げたいなぁ(それも英文の字幕付きで)」と思っているのですが、なにぶん自分の稽古も忙しくてタッチできていないままです。誰か、「俺がやろう!」って人いませんか?
微妙な流れのまま、とりあえず組手審査へ。基本はでたらめですが、組手をやるとそれなりに、、、というかかなり(!)強いのですが、でもそれがまた困りますねぇ。だから余計に基本を覚えようとしないんですよね。しかし武道たるもの、強さだけでなく技の美しさも重要です。武道は英語で言えばMartial Arts、アートなんですから。アートでなくて強いだけなら、人間はゴリラに対して「押忍、先生」と頭を下げなければなりません。
審査の間、選手達は計量を済ませ、明日に備えて軽く汗を流しています。皆 日本のトップ選手、動いている姿を見ているだけでも勉強になりますが、中でも特に目黒君、清水君、川下君の三人は目を引きます。才能がある若い子たちがじゃれ合うようにスパーをしているのは見てて楽しいなぁ。ほんの二本だけですがFacebookの私のアカウントに動画をアップしてあるので興味がある方はそちらをどうぞ。
会場で食事をいただいた後、ホテルに帰って、今度は会議室でルールミーティング。日本の武道の大会をモンゴルで開催しているというのに、飛び交う言葉はほぼ英語とロシア語。う~ん、スゴイな、さすが国際大会。「文に親しみ知力を練り」、特に若い選手は少しでもいいので英語を勉強しておきましょうね。
晩御飯はホテル2Fの中華料理店。朝も昼も鶏肉でしたが、ここで初めて羊肉の料理。臭みもなく美味しいです。特に私は骨付き肉が気に入りました。ちょっと食べにくいし、そもそも食べるところも少ないけれど、すごく美味。モンゴルウォッカもかなりイケますね。
その後、塾長の部屋に場所を移して、各国の支部長さん達が集まり、軽く懇親を深めます。が、塾長は時々席を外して何やらされています。聞けば明日の対戦表を作られているとのこと、、、って、ちょっ、ちょっと待ってください。大会、明日ですよね!? なんで今頃そんなものを作っているんですか!? 何でも、ガントゥルガ支部長に何度言っても今大会のエントリー選手のプロフィールを提出してこなかったので、組み合わせが作れなかったこのこと。今ようやくさっき渡されたので、今ここで作っているのだとか。マジですか~!? それじゃあ大会パンフレットなんかもできているわけないですよねぇ!? 何か明日がとっても不安になってきました。
10/4(日)
さぁ、いよいよ今日は大会当日です。
今野選手のアップに付き合うために道着を着て集合時間にロビーに来ましたが、道着を着ている人は私だけ。選手たちは皆チームポロor私服の為、私一人が選手よりも選手らしい恰好でいます(笑)。このまま選手として試合に出ることになっても私は全然OKなんですがそういうわけにはいかないんでしょうか?(笑×2)
出発時間が過ぎましたが、今日も出発できません。三ヵ国がまだ来ていないとのことですが、はーい、その内の一ヵ国がどこだか私、聞かなくても分かりますよ!? 今回の遠征中「イランはいらん!」というベタなギャグが何度関係者の頭をよぎったことでしょうか?(溜息)
30分遅れくらいだったでしょうか? ようやく集まり、とりあえず出発。車中、何かまた塾長が一生懸命作業をされています。なんでも昨日の選手の身体指数の一部に間違いがあったり、「今日たまたま都合がついて試合に出れることになった選手がいるので、組合せに入れてください」とガントゥルガ支部長に頼まれたりしたということで、またもう一度組合せをやり直しているのだとか。何だかもう無茶苦茶ですね(溜息)。「じゃあせっかくなんで渡辺もそこの-230に追加してくれますか?」と言いたかったのですが、到底そんな冗談を言える状況ではなかったので黙っておきました(笑)。
さて会場に着いたものの、私達のバスの他に車は見えません。選手、スタッフの方が観客よりも早くに会場入りするのは通常なので、観客の車が見当たらないのも当たり前は当たり前なのかもしれませんですが、熱心なファンのいくらかはいてもいいんじゃないかとも思ったりもして。観客の入りは大丈夫なんでしょうか?
とりあえず会場に入って、道着に着替えた今野さんの相手をします。打撃のマススパーの後は、対戦相手の身体が大きく「昨日、巻き込み投げの練習をしていました」とのことで、その対処の確認。今野さんの「もうこれで(アップは)大丈夫です。ありがとうございました」との言葉を聞いて、私も本来の職務である審判(笑)の衣装に着替えて大会のスタートを待ちますが、例によってスケジュールはあってないようなもの。いつから始まるのか?(溜息)
ここでようやく観客がパラパラと入ってきました。良かった。少なくとも無観客試合にはならないみたいだな(苦笑)。
会場内は底冷えがするほど寒いので、外へ出て日光浴しながら待ちます。外の方が温かいなぁ。太陽さんの力は偉大。エネルギーを取り込むウルトラマンの気分です。
しばらくボケーっとしていると「そろそろ始まります」ということで会場に戻ります。楽団がモンゴルの民族音楽を奏でて、う~ん、まさに国際大会って感じですね。いよいよ選手入場、大会スタート!、、って、ちょっと待って! 観客は!? 観客席には30人がいるか、いないか!?というレベル。今朝の時点で(絶対今日観客入らんな)と既に確信はしていましたが、それにしても酷すぎです(泣)。そもそも世間に向かって大会の宣伝がされていたのかどうかも怪しい気がします。後で聞いたところによると主催者のガンドゥルガ支部長的には「軍(※モンゴルでは軍が空道を採用しています)と警察関係者(※ガンドゥルガ支部長の生徒には警察官も多く、そちらにも顔が効くのだとか)で埋まるから大丈夫」という気持ちでいたのですが、「非常事態が発生し、人員が全部そちらに取られたので、あんなガラガラの状態になった」ということらしいのですが、、、本当かなぁ??? 絶っ対怪しいし(笑)。
ともあれ選手にとっては観客の有無は関係なし。熱戦が繰り広げられました。個々人の試合の詳細は英明師範や選手のレポートに譲るとして、結論のみ書くと日本の優勝は三階級に留まり、以下モンゴル二階級、カザフスタン一階級という結果になりました。
4年半前のモスクワW杯では、私は「フィジカル強化を根本から見直さない限り、今後の日本は世界一どころかアジア一も危なくなるだろう」といった趣旨のレポートを書きましたが、その心配が徐々に現実のものになってきた感があります。国内にいる将来海外雄飛を夢見る選手の皆さんもフィジカル強化に励んでください。また同時に技のレベルアップも必要です。今回、繊細な技術で攻防しようとする日本人選手との闘い(=国内大会)で有効だった技や戦術が、フィジカルを前面に押し出し攻撃で攻撃をつぶそうとする海外選手との闘いでは有効に働いていない、というシーンが数多く見られました。これとは逆に「日本人選手相手には今一つかもしれないが、外国人選手には良く決まる」、そんな技、戦術を開発しておくとか、あるいは今持っている技を日本人にも外国人にも通用するよう更に威力や精度を高めるといったような、そんな部分が必要だと思いました。
一方、モンゴルチームの活躍は素直に称賛したいと思います。観客の入りはガラガラでしたが(苦笑)、その数少ない観客達はモンゴルチームの活躍に大いに沸いておりましたし、今大会の模様は3つのTV局で放送してもらえるとのことですので、今大会が大きな反響を呼んで、更にこの地で空道が発展するための起爆剤となることは間違いありません。
更にカザフスタンチームの活躍も喜ばしいものでした。彼らは片道70時間(!)を掛けて車でやってきたのだとか。その苦労が報われる形になりました。
さてホテルに戻って打ち上げです。昨日と同じ2Fの中華料理ですが、昨日とは違って皆さんホントにリラックスした感じがありますねぇ。私もホッとして昨日以上に酒もご飯も進みます。
と、突然、英明師範が聞いてきました。
「なぁ慎二、あれってどう思う?」その視線の先にはチームジャパンポロを着た飛永さんが。
「あ~、いや、清水君のを借りて着てるんじゃないですか? 元々師匠だし。『かっこいいから俺にも着させろ』とか何とか、、、」と言った矢先に気が付きました。左の袖口にしっかりと刺繍で「飛永」と入っているではありませんか!?
「えっ、うそっ、なんで飛永さんだけそれ持っているんですか?」
「いや、私もともとはコーチ枠でこの遠征に参加しているんで」と飛永支部長。
「何言ってるんだ。飛永だって審判団の一員だろうが。実際ずっと審判やってただろ。審判団の中で飛永だけもらって俺たちにもらえないなんて、これは差別だよな」と英明師範。
「いや、でもホントに自分、コーチ枠なんで、、、」
「う~ん、まぁ審判は公正中立って位置づけだからチームウェアは難しいんですかねぇ」と私。
「馬鹿、何言ってるんだ。『審判が中立』なんて、言われるまでもなく当たり前のことなんだ。公正中立な判定をするのは当たり前のこととして、でも俺たち審判だって日本を代表してここにきているんだろ!?」
「お、押忍! そうですよね!?」
「表だってが無理なら試合が終わってからでもいいじゃないか。俺たちだって日本代表の一員としてポロシャツをもらう権利はあるだろ!?」
「押忍。ホントそうですよねっ! そんな妾の子(笑)みたいな扱いはひどいですよねぇ」
「よし、これは声を大にして言おう! 慎二、レポートにも書けよ!?」
「押忍!!」
結論から言うと今回選手コーチのみで審判団に配られなかったのは「予算の関係」ということらしいですが、それでもフルセットのウェアとはいかなくてもポロシャツだけでも、、、。私はこの件について「声を大にして」言うほどの度胸はありませんが、「声を中にして」くらいので大きさでは言いたいと思います。
差別反対! 審判団にも日本代表、チームジャパンとしての市民権を!!(笑)
一次会の後は、日本チームだけで塾長のお部屋に集まり二次会です。ここからがいつも長いんだ(苦笑)。ところが珍しく塾長が早くに床についてしまい、12:00で解散。そりゃあれだけ振り回されれば無理もないか。塾長もお疲れさまでした。
解散後、一旦は自分の部屋に戻った私ですが、ちょっと用があって廊下に出たら、まだ塾長の部屋のドアが開いていて、話し声が聞こえてきます。中を覗いたら、稲垣さん、飛永さん、多田君、由美子さんの四人がまだ残って飲んでいました。「先輩もどうですか?」と誘われたので「まぁこのメンバーと人数なら落ち着いて飲めるかな?」と思い、ご相伴させていただくことに。ところが、、、。
ところがそこにガントゥルガ支部長が弟子のバタさん(※以前に総本部に内弟子に来ていたことがあるので知っている人も多いかも?)とイランのシャリアリ支部長を連れて登場。「ジャジャーン!!」と効果音が鳴りそうなくらいの勢いで、まさに「登場(!)」してきました。大会開催のプレッシャーから解放されて、ガントゥルガ支部長、もう完全に出来上がっています。えらいテンションです。稲垣さんと飛永さんを捕まえ、「ブラザー!」だの「ファミリー!」だの「(また会えて)ハッピー!」だのとひたすら連呼し(※稲垣さんと飛永さんは以前にもモンゴル遠征の経験があります)、写真を撮るよう由美子さんにお願い。撮ってもらって落ち着いたかな~と思うと、またすぐに稲垣さんと飛永さんを捕まえ、「ブラザー!」だの「ファミリー!」だの、、、以下無限ループ(笑)。なんだ、これは? 平成の蒙古襲来か!?(爆) 13世紀の元寇では鎌倉武士たちは勇敢に戦ったものの、今回の蒙古襲来には、私たちはなすすべもなく圧倒されております。ご先祖様、申し訳ありません。
実はこの時、モンゴルチームも上の階でお疲れ様会をするために一同ガントゥルガ支部長を待って待機しているとのことだったそうで、なかなか来ない先生の様子を伺いに、女子生徒も迎えに来ましたが、状況は変わらぬまま「ブラザー!」「ファミリー!」「ハッピー!」「写真パシャ!」の無限ループを繰り返すガントゥルガ支部長。これ、いつ終わるんだろう?(溜息)。時々バタさんが「先生そろそろ」といった感じで声をかけると「お前は一々うるさいんだよ。バカこの!」といった感じで頭をゴン!とやるガントゥルガ支部長。おぉ、これぞまさしく東スタイル! 大道塾の文化は正確にモンゴルにも伝わっているぞ! ちょっと感動(笑) 一方、その都度冷静に止めに入るシャリアリ支部長。おい、ちょっとなんかいい人に見えるぞ、いい人に。これまでさんざん周りに迷惑を掛けていたくせに、なんだ、その「美味しいとこどり」のキャラは!?(笑)
ネバーエンディングなこの状況を救ったのも、やはりシャリアリ支部長。最後に「私はこれで帰ります」とあいさつして引き上げたのをきっかけに、何とな~くお開きの雰囲気になり、モンゴル支部長は生徒二人に付き添われ、引き上げていきました。シャリアリ支部長の今回唯一の(笑)ナイスプレー。はぁ~、疲れた。
部屋に戻って25:45就寝。
10/5(月)
今日は観光。実に晴れ晴れした気分です。なんてったって今日の観光は「希望者のみが行く」のですから、たとえイランチームが遅れようとも「彼らは希望しなかった」と切り捨ててOKなんです。今日こそスケジュールは守られるでしょう。ところが常に遅れるイランチームが今回ばかりは誰よりも早く時間前に勢ぞろい。こいつら、ちゃっかりしてんな~(苦笑)。
ともあれ出発。モンゴルの街は何かロシアっぽいですね。まずキリル文字が目につきます。そうロシア語の表記に使う例のあれですね。ここに来るまで知らなかったのですが、モンゴルの言葉はもちろんモンゴル語なのですが、文字表記の際にはキリル文字を使うんですね。共産主義時代のアパートなんかもある街並みもそうだし、何よりこの乾燥して埃っぽい空気がロシアっぽい感じです。
それにしても車の量が半端ありません。メインストリートは片側5車線? 6車線? それでも渋滞しています。郊外の道路は3車線。でもやっぱり渋滞。本当にぎっしりと車が並んでいます。写真を撮ると駐車場かと勘違いしそうなくらいです。また途中、横断歩道はほとんど見当たりません。そこらここらで渋滞の合間を縫って、人が歩いて適当に横断しています。危ないなぁ。エジプトを思い出します。
それから、来る前までは何となく韓国車が多いような気がしていたんですが(そういえば私たちのバスの内一台はヒュンダイ車)、実際には日本車がかなり目立ちます。なかでもプリウスがずいぶん多いです。「犬も歩けばプリウスに当たる」ってくらいに(笑)あっちにもこっちにも走っています。ほとんどが中古車で「維持費が安いのが魅力」なんだとか。それからランクルも多いですね。こっちはほとんどが新品のようで、ピカピカしています。新車のランクルは金持ち、成功者の象徴として人気車なんだそう。いずれにせよ「トヨタは信頼性が高いので、すごく人気ですよ。あとはスバルも人気ですね」とのことでした。その割にはスバルはあんまり見なかった気がするけど、多分「一部の車好きに大人気」ってな感じなのかな?
そうこうしているうちに突然片道一車線に変わります。道の凸凹具合がすさまじいです。一応は舗装路なのですが、砂利道じゃないの?と勘違いしそうなくらいの凸凹さです。どこまでも続く一本道。カザフスタンチームはこんな道も含めて70時間を掛けてきたのでしょうか? 日本みたいな滑らかな舗装路だけじゃないんですね。日本の常識は世界の非常識。
私達のホテルはウランバートルの中心地に近いので、ほんとフツーの街でしたが、ここまで来ると(ここも一応、行政区としてはウランバートル市内だそうですが)両側には草原が広がり、ボロ小屋やゲルが見えるようになってきました。こんなところで生まれ育ったらどういう人生が待っているんだろう? 小学校すら行けないんじゃないか? TVはさすがにあるんだろうか? でもTVで見る、街で起こっていることは同じ国でもこことは全く別世界。国って何? 人生って何? なんか考えてしまいます。どれだけ考えても答えは出ないけれど、、、。とりあえず今の恵まれた自分の人生に感謝するだけです。
2時間くらい走って「チンギスハーン像テーマパーク」に到着。見渡す限りの大草原の中にポツンと(?)いやドカンと(?)銀色に輝く巨大チンギスハーン像がお目見えしました。その高さなんと40m! この巨像を中心に様々なものを周囲に増築し、一大テーマパークを築く計画だそうですが、これを作るのに10年かかったということらしいので、全体が完成するのは50年後か、100年後か? まぁ無理なんじゃないかと思います(笑)。馬に乗り、遥か彼方をにらむチンギスハーン。この像、てっきり進軍、征服していった西の方に向かって建てられているのかと思いきや、コンパスで測ると真逆の南東方向、つまり中国北京の方角をにらんでいます。これは歴史的にも清朝の支配下に置かれていたこともあるし、現在でもモンゴルの仮想敵国は中国なので、そちらに向かってにらみを利かすという八卦か風水か分かりませんが、そういう呪術的な意味合いもあるらしいです。あとは単純に「モンゴルでは南は縁起のいい方向ですから」ということもあるそうです。
ところで選手のバスがいつまでたっても来ません。館内に入るには「入場料が必要」ということなんですが、その入場料を払っていただくガントゥルガ支部長は選手バスに同行。なので私達はな~んもすることができません。大草原の風に吹かれ、日向ぼっこをしながらボケ~っと過ごしました。あ、そうだ。鷹匠ならぬ鷲匠の人がいて観光客相手に商売していたので、待っている間に多田君のお金で(笑)私も腕に鷲を乗せて撮影していただきました(※私、現地のお金を持っていなかったので、、、多田君ありがとう。)。
遅れること一時間半。ようやく選手バスが到着しました。何をしていたのかと思えば、別ホテルに泊まっているチリのラファエル支部長を迎えに行ったところ、そこで一時間待たされたとのこと。ブルータス、いやラファエル、お前もか!? ちなみに「金ならいくらでもある」と豪語するラファエル支部長が自腹で泊まっていた別ホテルのお部屋は豪華なスイート(!)だったらしいです。
閑話休題。なんだか今日もまたグダグダになってきました。もう疲れたわ(溜息)。とりあえずサラッと中を見たら予定変更してホテルに戻ってから食事に行こうということになりました。
一路ホテルに向かいますが、さすがに「腹が空きすぎてホテルまで持たない」という人も出てきて途中スーパーに寄ることに。先も急ぐので「15分限定」ということだったのですが、やっぱりまたシャリアリ支部長が帰ってきません。どうせそんなことだろうと思っていましたので、もう何とも思いません。明鏡止水の境地です。
夕方、ホテルに着きました。食事は例によってまた2階の中華料理店となりました。「マジかぁ~? 三日間ずっと同じ飯だよ」と驚き、苦笑いする稲垣さん。甘いな。私なんか「食事はホテルに帰ってから」と言われた時点で絶対にまたここだと思っていましたよ!? だってこの大人数でいきなり行って入れる店なんてそうそうないでしょうからね。三日間同じ食事であろうとも、別に何とも思いません。既に私は明鏡止水の境地に入っていますからね(笑)。ちなみに由美子さんも「一週間同じメニューだったインドと比べれば全然まし」と明鏡止水の境地に入っていたようでした(笑×2)。
その後、お土産を買いに歩いて街へ繰り出し、一旦帰ってきてから、もう一度外へ。モンゴルに来てから中華料理ばかりなので、「最後に一度、ちゃんとモンゴル料理を食べよう!」というわけで近所にあったレストランに入ったのですが、、、そこで出てきたモンゴル料理は「パオズ(肉餃子)」「水餃子スープ」「チャーハン」でした(爆)。
10/6(火)
さていよいよ帰国の日となりました。荷物をパックし、朝5:50ロビー集合。他チームと一緒にバスで空港に向かいます。まだ外は暗いです。ネオンの灯りが流れていく異国の街並みをぼうっと見ていると、何か時間の流れが違って感じます。遠征中はいつもそう、夢の中を過ごしているような感じです。あぁ夢の時間ももう終わりだな。明日からまた日常が戻ってきます。指導と自分のトレーニングに明け暮れる毎日だ。頑張らないと。
東塾長、今回の遠征にお誘いいただきありがとうございました。海外に出るといつも色々な経験、自分の人生において財産となる貴重な経験を積ませていただいています。大道塾と出会わなければまずあり得なかったことで、本当に感謝しております。この貴重な経験を自分だけのものとすることなく、選手育成と空道の普及に活かして、非才の身ではありますが自分なりに精いっぱい頑張りたいと思っております。
英明師範、本当にお世話になりました。ありがとうございました。大道塾の東京支部に入門し、英明師範の生徒となってから32年も経ちました。今から振り返ってもほんの一瞬のようです。英明師範は(東塾長ももちろんそうですが)当時と少しも変わらず、エネルギッシュですね。「俺はまだまだ足りないな」といつも思わされる存在です。頑張って後を追いかけます。押忍。
狐崎支部長、神山支部長、稲垣さん、飛永さん、多田君。皆様、大変お世話になりました。いろいろなお話ができて勉強になり、また楽しかったです。
由美子さんにも大変お世話になりました。色々と気を使っていただいて、細々と動いて下さる由美子さんが一緒で、今回の遠征、大変心強かったです。今後ともよろしくお願いします。
最後に選手の皆さんへ、もう一度
私が聞き知ったところで言いますと「1位」と「チャンピオン」というのは「本来別のもの」なのだそうです。今はある大会で「1位」になれば自動的に「チャンピオン」と呼ばれますが、元々語源的に言うと、「チャンピオン」というのはそうではなかったそうです。
昔々、とある部族間、あるいは村同士の間で諍いが起こった、と。話し合いで解決できればもちろん良いのだが、そうはいかない場合もある。当然、戦となる。徐々に戦が大きくなるが、このまま全面戦争の消耗戦となるのはお互い本意ではない。そういうときに、
「互いの部族or村から代表者を1名選び、闘わせよう。どちらが勝っても恨みっこなしだ。負けた方は素直に勝った方に従うんだぞ!?」
「よし、分かった!」
ということで、その選ばれた代表者のことを「チャンピオン」と呼んだのだとか。
選ぶのは当然簡単ではありません。今のように民主主義で人権のある時代ではないのですから、負けたらその瞬間からその部族、村人は奴隷確定です。自らの財産も、命も、全ての運命を託す代表者を選ぶのですから、それはそれは簡単なことではありません。最近の大会(?)で勝った今一番勢いのある若者を選ぶのか? あるいは若さはなくとも経験豊富な歴戦の勇者を選ぶのか? 強さはもちろん重要ですが、それと同時に、いやそれ以上に人間性も大事です。「こいつが出て負けたのだったらしょうがない」「俺たちの全てをこいつに託そう」と、そう皆が納得しえる存在でなければなりません。そうして喧々諤々の議論の末、部族、民の全てを託して送り出した、その戦士のことを「チャンピオン」と呼んだということです。
今回の遠征メンバーに選ばれた選手の皆さんのほとんどの方は、先の北斗旗体力別で優勝し、日本の「チャンピオン」として今回の遠征に望まれました。その栄誉とそれに伴う周囲の期待の大きさ、プレッシャーは大変なものがあったかと想像しますが、「チャンピオン」というものは本来そういうものなのです。そういった様々なものを背負い、なおかつ前を向き、歩み続けようとする者こそがチャンピオンになれるし、チャンピオンでい続けることができるのだと思います。その苦労も、しんどさも、全て含めて「選ばれた者のみが持ち得る栄誉、喜び」です。頑張ってください!(私も現役選手の一人として、皆さんのような存在に一歩でも近づけるよう、あるいはいつか同じ高みに登れるよう、自分の稽古を続けます。)
今回の遠征、本当にお疲れさまでした。皆さんが今回の経験を活かし、今後更なる活躍をされることを衷心より願っております。押忍!