東日本大震災に想う

敢えて言う、これは“戦争”である

(書き始めが3月16日で今日が3月24日の為、文章と日時に多少のタイムラグがあります)

NPO国際空道連盟・(社)全日本空道連盟 理事長
総合徒手武道 大道塾 代表師範・塾長   東 孝

この度の東日本大震災はマグチュード9、最大震度7という世界的にも歴史的にもあまり記録にない、未曽有の出来事でした。塾生の中には津波で家を失った人や、身内が行方不明になった人、危機一髪で助かった人、まだ安否が確認されていない人、等々が何人もいます。

一人でも多くの方々が救われることを心からお祈りするとともに、不幸にも今回の震災で被害を受けられた方々に対し、心よりのお見舞いならびに哀悼の意を表させて頂きたいと思います。

私は地震と津波の多い三陸海岸の宮城県気仙沼市に生まれたので、1960年の「チリ地震津波」※1を経験しており、小学5年生だった私は、1953年に合併して気仙沼市となった、私たちの鹿折(ししおり)地区が、死者こそいなかったものの、モロに津波を被って大きな損害を被ったその怖さを、幼心に焼き付けており、規模としてはもっと大きな震災(阪神淡路、新潟中越など)があっても、何か「大震災を経験している」という思い込みがありました。

※1  1960年チリ地震 – Wikipedia

所が今回の震災はその数十(百?)倍もの大きさで三陸沿岸を襲い、そんな経験など吹き飛ばしてしました。我が鹿折地区も津波と火事で大半が壊滅しました。火事に遭ったり浸水被害を受けた姉などもいましたが、実家は鹿折川の中流にあり無事で、怪我や行方不明者はいませんでした。今は小学・中学時代の仲間や、高校時代の同級生、柔道部の先輩後輩の安否が気遣われます。

直ぐにでも駆けつけて何でもできる事をしたいと気が逸っても、まず鉄道や道路が遮断されているし、ガソリンの給油が制限されているので、何とか被災地に入ったとしても、逆にガソリンや食料の問題などがすぐに出てきて、経験のある人以外は、組織立って救援活動をしている人達の足手まといになる可能性の方が大きいでしょう。今はただ、一人でも多くの人達の生存が確認される事を祈るしかありません。

更には被災していない地区の予選大会も近づいています。「こういう時期だから延期や中止を」という声もありますが、離れていて直接支援に行けない人達が、みんなで頭を下げて下を向いていたり、暗い顔を見つめ合っても何も生まれません。被災していない者達で、震災後への対応を計画し行動するしかないのです。(列島全体が震源に上に乗っているような日本では、「今回は難を逃れた」だけかもしれませんが・・・・。)

例えがどうか、賛否があるところだと思いますが、私は今回の震災はいわば“戦争”だと思っています(※2)。戦争を経験してないものが軽々に使う言葉でない事は十分に知っている積りですが、これだけの惨状は、“戦争” ではないでしょうか?日本という国がどこかからの攻撃、空襲を受け東北地方が甚大な被害を受けてしまったと同じ状況です。そう考えたなら、一部隊や地域がやられたからと言って日本全体が意気消沈したのでは、戦いは負けです。やられていない、まだ傷を負ってない部隊や地方が反転攻勢をしなければ日本は本当に負けてしまいます。今こそ日本人が一致団結して闘う時です。そして日本はギリギリまで押し込まれたり、果てはやられてしまってから本気になる民族です(※3)。前者が明治維新であり、後者が太平洋戦争の敗戦後ではないでしょうか?

※2 よく「30年以内に来る」と言われて、既に10年以上が経った「第二の関東大地震 (大震災)」も、今回の「東日本大地震」で、地震エネルギーがかなり発散されたのかなー?とネットを覗けば、とんでもない。「今回の地震とそれは全く関係ない」とのこと。もしこの状態に重ねて今回以上の地震が来ると考えたなら・・・・。我々は正に、今後何十年に亘るかもしれない「対震(災)戦争」の中に生きているのであり、この表現は決して大袈裟ではないはずです。今までの平和で穏やかな時代とは違う、平和を希求しながらも、それを守るために「緊張感のある日常」を要求される時代が始まるのかもしれません。

プレートテクトニクス – Wikipedia

日本の地震(内閣府防災情報のページ)

※3 理由を私なりに考えれば、まさに「和を持って貴しとなす」精神が、強く意識はしないにしろ、脈々と根付いているからでしょう。それまでの慣習なり慣行を全面的に否定する“抜本的な改革”は、平時では中々出来ず、小手先の改革で済ませるしかないからです。しかし、ギリギリ状況が差し迫って非常時となって「これなら人の顔を立てている時ではない。これをしなければ国が滅びる」として初めて大半の人間のコンセンサスが一致した所で始まるのです。だから、対応策は予め分かっているので、世界が「いつもは何にも変化、対応しないのに」と驚くほどに、対応も素早いのです。

更に言えば「世界で最も成功した社会主義国(※)」と言われるほどに平等意識が強い国民性から「突出した人間や行動を嫌う」という傾向もそれに拍車を掛け、敢えてそれをする(できる)者への“妬み”や“足の引っ張り合い”という陰湿な言動も、日本では特に顕著に出易いのでしょう。

但しこの感情も悪い結果だけを生み出している訳ではないので、「社会の安定性を保つ」という言う意味や、「人間は幸せになる為に生まれて来たのだ」と考えるならば、十二分なプラス面があります。それはショッチュウ革命だ政変だと騒然として、かといってそれが落ち着いたからと言ってすぐにまた新しい騒動が起きる国々に比べれば、どれだけ安定した社会を存続させているかを思った時、決して否定されるものではないでしょう。

だから人の世の物事は一面からだけ見て事足れるほどに単純ではなく、勢い複雑になるのですが・・・。正に「大道無門(人世万事が修行の糧である)」の世界です。と言うと今度は「我田引水だ」との反論が出てくるのが日本・・・ですか。

※ 世界で最も成功した社会主義国(日本型社会主義 – Wikipedia

それは、固定も携帯も通じない電話やメールを捨て「情報を!」と思いインターネットにすがっていると、世界各国からこの大震災を被った日本への励ましや同情等の言葉でも分かります。「日本頑張れ」、「日本は強いから必ず立ち直る」、「あんな大地震なのにビルの倒壊が殆どないなんて、いかに建築基準法が守られているかだ(※4)、翻って我が国は…」、「しかも、あんな大惨事なのに日本人は暴動、略奪も起こさない(※5)。なんて忍耐力、自制心の強い民族なんだ」等々、普段は関係がギクシャクしている国からも次々と様々な賛辞が寄せられています。この何十年「これからの日本はどうなって行くんだろう」と言う云い様のない不安、悲観を常に感じているこの頃では、久しぶりに体の中から「そうだ、日本人は凄いだろう!!こんなことで凹むような民族じゃあないんだ!」と大きな声で叫びたくなるような、“高揚”を感じたのは、私だけではないのではないでしょうか。

※4 日本でも「構造計算書偽造問題 – Wikipedia」(通称「姉歯問題」)があったのは記憶に新しい。

※5 上記同様、勿論全くないというわけではなく、昔から“火事場泥棒”という日本語があるように、どこで もいつの時代も、人の弱みに付け込んで窃盗したり強盗したり、果ては暴行したりしたりというような、人格下劣な、鬼畜のごとき最低な人間はいます。しかしその割合が他国と比べた時、無いにも等しいくらいに日本では少ないということです。

ここから例によって、はみ出し。

もっともこんな万人が心を痛めている時に悪口雑言を吐いたり、悪態をつく人間がいたなら、さすがに、人間性を疑われるでしょう。国内をまとめる手段として反日政策を採っている国でもそういう人間があったらしいですが、さすがに「国の恥だ」、「止めろ!お前の方が悪者だ!」の大合唱にかき消されたようです。

とは言っても、昨日まであんなに日本を悪しざまに言っていたのに、その論調のあまりの一斉変化は、100人が100人言いたいことを言って、何事もまとまらずに坂道を転がり下る一方の日本と比べると羨ましい位ですが、その時々の政策次第でかなりの方向転換する国ですから、素直に喜べないというか複雑な気持ちになってしまうのも正直な所で、「いつまで続くのかな?」とか、「手放しで喜んでいいのかな?」と落ち着かない気がするのは、私が“ひねくれ者”だからでしょうか?

実際、こんな僻(ひが)み根性が身に着いてしまったのも、このところ日本の将来を考えた時、政治経済スポーツ何一つ良い所がなく、かろうじて学術分野や文化面(※6)での活躍が散見されるだけだからです。しかしこれとて、皮肉な見方をすれば、もともと「学術や文化というものは贅沢の中から生まれる」と言われる位だから、経済的な絢爛はとっくの昔に通り越して、熟爛すら過去のものになり、腐乱(?)になりつつある今、その腐葉土の中から、ようやく新しい芽が2、3本出始めたのだと考えれば、「売り家と唐様で書く三代目(※7)」みたいな、喜ぶべきか悲しむべきか、複雑な気持ちに襲われますが・・。

※6 学術分野でのノーベル賞受賞などの、地味な研究を長年重ねて何十年後かに認められるという、「よーし、俺だって今は苦しいし誰も認めてくれないが、頑張れば必ず報われるのだ!」と、それを見る側も感情移入できるような受賞もありましたが、より多くは、主として天与の感性や才能に基を置く、映画や、漫画、音楽と言った感情、感覚表現の分野が多いのではないでしょうか。

※7 故事ことわざ辞典blog 「売り家と唐様で書く三代目」

ここで、はみ出し終了。

日本全体が草食系化しているからだという見方もあながち否定はできませんが、とは言っても、弱肉強食、常在戦場が常識の、人類も含めた生物世界で、これだけの危機的状況でこれだけ秩序立った行動をとれるという民族はそういないでしょう。これは奇跡にも近い物凄いことです。その中には、普段年長者がいても傍若無人に振舞うのが格好イイと勘違いしているような、一見どうしようもないように見える若者もいたことを考えれば、「まだまだ日本人も見捨てたものじゃないな」、「そうなんだ、連中だって(“海”という天然の要塞に囲まれて築かれた)この日本列島200年の歴史から生まれた平和志向のDNAを持ってるんだ」、「イザ!となったならそのDNAが働き、人を信じ、人と繋がって一致団結出来るんだ」と思えたことは、何か救われたような気がしたものでした。

但し、但し、です( と言うからへそ曲がりとか、素直じゃないといわれるのかもしれませんが 泣)、これはどちらかと言うと外国人同士(海外とか、欧米とか言った方がいいか?)では、あまり評価されない、例えば、「負けっぷりが良い」とか、「潔い」にも繋がる場面での賞賛です。貶(おとし)められるよりは、褒められる方がいいのは当然ですが、いくら褒められても、負けた時とか、不幸不遇な時の言動が褒められるだけでは、いずれその人間は悲しい現実と向き合う日が来るでしょうし、国は滅びます。

どうせ賞賛されるなら「勝って兜の緒を締めよ」じゃないが、「正々堂々と戦って、勝っても傲慢にならならず、謙虚である」とか、「熾烈な競争を乗り越えたのだが、しかも相手への思い遣りも失わない」というように、地平の上で褒められて初めて真に喜べる、受けるべきものではないでしょうか?

「自分の分野(空道)では負け続けている癖に、大層な事を言うな!」と言われる向きもあると思うので、「偶(たま)にでも良いから、勝って」という情けない前提に変えますが(泣)、兎に角、かつての日本がそうであったように、日本は「勝って賞賛される時代」をもう一度取り戻し、この国難をなんとしても乗り越えなくてはならないのです。

大丈夫です、春夏秋冬のある季節から育まれた繊細さや、農耕生活から生まれた温厚さ、集団行動志向に加え、更には大化の改新で定められた「十七条憲法」第1条、「和を以って貴しとなす」(※8)などから生まれた、平和志向は2000年の平和をもたらし、普段は平和、穏便が至高の価値となる、一見弱そうに見える日本人ですが、それだけではなく、「イザ!」となれば、戦国時代から江戸時代を経て醸成された「武士道精神」に基づく「負けじ魂」(負けないために戦う=護身、すなわち、「武道精神」ではないでしょうか)が頭をもたげて、日本の崩壊を踏み止めてくれます。

※8 十七条の憲法(じゅうしちじょうのけんぽう)-現代語訳付き

明治維新後、第二次大戦の敗戦後、と言った国の存続、存亡をかけた国難の時代には、必ずこの精神が蘇って来て、日本はその度に“不死鳥”のように復活したではありませんか。坂を下る一方だった昨今の日本。今こそこの国難ともいえるこの時を逆に利用して、再び「日出(いずる)の国」(聖徳太子※9)にするよう、我々一人ひとりが国難を自覚し、強い意志をもってこの現実に立ち向かい乗り越えましょう。

※9 聖徳太子 – Wikipedia

具体的に各方面、各支部等々で復興募金が始まっていると思います、出来る限りで構いません、是非ともご協力願いたいものと思います。


最後に今回の震災で心に残った言葉。掲示板(2011.7.5閉鎖)にも載っているから読んだ人も多いと思うが・・・・。(赤字注 東)

毎日見ていましたが、メールを打つことにずっと迷いがありました。全ての言葉が安っぽくなりそうで。この国難に対して、己の無力さを痛感しています。被災した方々にどのような言葉を送ったらいいのか、まだ見つかりません。でも、気持ちは同じですから。

みなさまに支えられていること切に感じうれしく思います。支部塾生大半の無事を確認し、残りは引き続き確認中です。無事の確認でき次第ご報告いたします。電気のない5日間、真っ暗闇で空を見上げると満天の星空が広がっていました。下を見ても何もない、上を向いていきましょう。

何事にも終末があり、必ず未来はあります。私達は今できることを考えて、行動に移したいと思います。打ちひしがれている方も多いと思います。しかし、武道を志す仲間達にいまあえて「頑張ろう」とメッセージを送りたいと思います。大道塾の皆さん、被災された皆さん、頑張ってください。

連絡遅くなりました、私の家族と私は無事です。家は津波に流されてしまって奥さんが30分前に避難所に逃げた。私は帰宅途中だったけど途中でいけなくなって車を捨てて次の朝歩いて七ヶ浜に行きました。一生忘れられない。七ヶ浜で3日間避難所にいて、昨日家族を奥さんの実家にやっと連れて行くことができて初めて連絡しました。その後東北本部にいって状態を確認しました。これから色々もっと大変になると思いますが、今こそ皆で力を合わせて団結してやるしかない。頑張るしかない。絶対に負けちゃいけない。皆一緒だ。(※)

※この言葉だけは、名前を挙げて一言付け加えさせて頂きたい。皆さんも知っての通り、東北本部のコノネンコ師範代のメールです。彼は元々はロシアのウラジオストク大学の考古学者夫妻の子供として生まれて、本人も考古学を専攻しましたが、十数年前、私に長々と手紙をくれ「日本の武道、大道塾に憧れているので、是非日本で修業をさせて下さい」とありました。その後、担当の教授から「身元保証人になって頂きたい」と申し入れがありましたが、この仕事をしている縁で多くの外国人と触れ合っているので、即了解ともいかずに逡巡していました。その内にウラジオストックでセミナーがあり、彼に直接会って話しているうちに、「この青年なら身元引受人になっても良いか」と思い承知したものです。その後、彼は現代の下手な日本青年(?)以上に、武道精神で真摯に勉学と空道に精進し、期待に違わず8度の全日本体力別優勝や、遂には無差別をも制覇し、今は東北福祉大学の文化人類学の学究であると同時に、同大学の「国際センター」助教として大学で働いています。

その彼が今回の震災で新築したばかりの家を流されてしまったのは周知の通りですが、何度か彼とメールのやり取りをした中で、上記の事と同時に、こうも言っていました。

「将来は全く見えない。ロシア大使館から3回避難が勧められました。私は(日本が好きだから)断ったが、夜、子どもの寝顔を見るときに正しかったかどうか泣きそうになります。皆の掛け声だけは力になります(原文のまま)」

※この部分は東の希望的注だが、それだけではないにしろ、これまでの経緯から、そう大きく間違ってはいないでしょう。

今の日本は彼(だけではない、多くの“日本に憧れて、もしくは夢を持って来た外国人”)の「“憧れ”や“夢”、“期待”に応える日本」を保っているのだろうか??残念ながら最近の私は度々「昔の日本人はこうじゃなかったんだぞ!」という羽目になっている。我々は彼(しつこいが、彼だけではない“日本に憧れて、もしくは夢を持って来た外国人”)の選択を後悔させないような日本をもう一度立ち上げなくてはならないと、心からそう思わないではいられない。

そういう意味で今回の震災は「雨降って地固まる」と思うには余りに「むご過ぎる災難」だが、逆にここまでやられると「耀ける日本」を取り戻す最後の機会かもしれないとも思う。事実、被災地の方々の中には「大丈夫だ!こんなことで負ける訳には行かないから!!」と言うような“不撓不屈の精神”を感じさせる男の人の力強い声や、「みんなで支えあったるから乗り越えられるんだよー」と、図らずも日本人の原風景を抽出して見せる老婦人など見ると、「みんなで歯を食いしばり、力を合わせて再び頑張りましょう!!」なんて、紋切り型の陳腐な掛け声にしか聞こえない位だ。

2011年(平成23年)3月11日から、日本は何十年掛かるか知れない「対震(災)戦争」に突入し、三度目の大改革、大維新に向けての日々が始まったのです。その“覚悟”と“日常”を持つことだけが、日本の、我々の生き残る道の様な気がします。

文書日付 2011.3.24