コラム27 地区本部の発展的解消と、有志による継続(独立)新支部のスタートの悲喜交々

1981年の2月に仙台に、それまでどの空手も成し得なかった“顔面への加撃”が可能で、更には掴んでも投げても良いとした「格闘空手・大道塾を発足設立した。

内弟子希望者が、毎年10人前後いて彼らが3年の修業を終えても、選手としてもう少し続けたいという希望と、国内から大道塾を求める多くの声に誘われて、全く拠点のなかった地区に直轄道場を設立した。1983年9月の東京支部開設、1985年4月大阪支部(のち関西本部)、1986年5月の福岡支部(のち九州本部)、1993年2月中部本部、1995年4月に北海道本部、1996年11月、広島に中四本部と。

大道塾は現在38歳になった。途中はご存知のように山あり谷ありの年月だったが、「大道無門」の塾是、そのままに、どんな障害困難をも、自己を完成、向上させる縁(よすが)として、愚直に前進してきたことで、現在国内約100か所、海外60数か国の組織にまで成長できたことは周知のとおりである。

しかし、当初 大道塾未踏の地への橋頭保として、ブームに乗って多くの若者が集まった「地区本部」も、その彼らが成長し独立支部として周囲で始めるようになれば、当然経営者として独立採算の必要があるから、一生懸命生徒募集や指導にも力が入る。地区本部には何度か運営実態を公表したが、親方日の丸じゃないが経営面を考える必要のない指導員では、そこまでの切迫感は持てないのも無理はないのだろう。吸引力が弱まってくるのは当然だ。

一番早い関西で31年、九州で31年、中部で25年、北海道で22年、中四国で21年の年月が流れた。そんなこんなでここ約10年ほどは本部からの補填で維持されてきた「地区本部」だが、お蔭でその周囲には、何ヶ所かの独立支部や道場が出来、「地区本部」の役目は十分に果たしたと言って良い。

また、大道塾は設立当時から、「真に社会の貢献できる人材の養成」が変わらぬ設立趣旨であり、その運営は公明正大を旨としてきた。そういう意味で、既存の大きな組織のような、特定の後援組織があるわけではなく、また、公的組織として予算などが国から降りて来るような団体でもまだ、ない。上述したように、純粋に会員の会費で運営されている大道塾としては、採算を度外視して地区本部を維持することは、回りまわって、全国の会員に余分な負担を掛けることになっているのも、心苦しい現実である。

そう言う条件の中で、今後は今まで以上に、国際組織としての発展を期する以上、海外展開の強化や、アンチドーピング活動などの新たな予算も必要だし、海外の選手がプロ的環境で練習していることに対するには、内弟子もただ希望で入ってくるのを待つまでではなくジュニア等で実績を持った選手を、バイトしないでも練習できるような待遇で練習に打ち込ませなければ太刀打ちできない(運営会議での協議)、と言った重点的予算配分が必要になってきた。

そんなこんなで、昨年から「各地区本部」には「地区本部を引き継ぐもがいるなら是非引き継いで欲しい」し、もし1年の猶予を与えてもいないなら「発展的閉鎖」しようと伝えてきた。

処が面白いもので、ま、人間百人いれば百通りの反応、考えがあるから当然だが、それへの反応は様々だった。ある指導員は、「ここまで本部に負担を掛けながら発展させることができなかったことは、本当に申し訳ありませんでした。今後は自分たちで、取敢えず近くの公共施設を借りて、後継道場として独立採算で頑張ります」という言う者から、「急に梯子を外された」(って、何度も経理は公開してたぞ!!)と言うものまである泣。

大概は、「自分たちはこの地区で大道塾の灯を上げた道場です。地区本部の後継道場としてのプライドを持って自分たちの力で存続させます。しかしそうなると自分達がなんか地区本部を乗っ取ったように思われないでしょうか」などと余計な心配をしてる(笑)とか「家主と掛け合って、家賃を下げれば存続できます」だったりする一方、「やはりもうヤル気になれない。バカバカしい、俺は辞める」もいる。

それだけで済むなら「人間さまざまだ。色んな見方考え方があるからな~」で、諦めるしかないが、それを嘆き節なり、恨み節で吹聴するとそうだ、可哀そうだ!!と「反権力に燃える」ものもいる(笑)し、更にはネットで拡散するものまで出て来る。

ま、これも「人の口に戸は立てられないのが世の常だ」し、言っても「○耳東風」という耳もあるから、放っておくしかないのだが、しかし、いかに“人格者(?)”、いかに“業界の良心”とはいえ(爆)「一度、自分の採算でやってみた上で、言ってみろ!」くらいは言いたくなるのは、当方がまだ修行が足りないせいなのだろう。「我、いまだ木鶏足り得ず」か~!