2018.11.26   東孝×中田宏 武道対談 前篇

※この記事は「空道チャンネル」で公開されている東孝×中田宏対談動画を文字起こし、編集したものです。

 

――空道連盟理事長の東孝さんと前横浜市市長、前衆議院議員、空道連盟副会長にご就任いただいている中田宏さんに御対談をしていただければと思います。東さんから大道塾のこれまでの経緯、そして12月1日から2日に開催される第5回世界空道選手権大会に対する思いなどお話いただけますでしょうか。

 

東孝(以下東)

私が1981年に大道塾を始めて大体40年。その前半20年間は格闘空手という名前で、空手に組み技や投げを入れてやっていたんですよ。元々柔道をやっていたので、そこに寝技も入れたいな、と。そうなると空手という範囲から離れるということで、空道という名前でやったのが2001年なんですよ。その時も皆さんに心配してもらったり反対してもらったり色々あったんですけど(笑)。私としてはずっと暖めていた構想だったので、2001年に第1回の世界大会をやって、今回で5回目になるんですね。ある意味、まったくの徒手空拳でやってきたので、よく20年持ったな、という気持ちもあるし、レベルも高くなってきているので、これを少しでも公の場に出したいなと。国体、いずれはオリンピック、そういう方向に持っていきたいなと思ってやっているんですね。そういう意味で色々ご協力いただきたいと思いますので、ひとつよろしくお願いします。

 

中田宏(以下中田)

よろしくお願いします。とにかく私からすれば東先生は憧れで。私も不肖、空手道をやっていた端くれだったものですから。町の道場に中学の頃から通い始めて、そして高校に進んで空手道部をやって、高校を出てからは空手道の世界で生きていこうかと思ったぐらいで。極真会の若獅子寮に入ろうかとパンフレットを取り寄せて考えたぐらいでしたから、東孝の名前は憧れ以外の何物でもなくてですね。当時の少年中田にとっては雲の上の人ですから、今も光栄で緊張しておりますが、こうやって携わらせていただいたこと自体、本当にありがたいご縁を感じていますし、今日色々お伺いしたいこといっぱいあるんですけど、発展を願う気持ちでいっぱいです。それは何故かというと社会の発展に繋がると、こう思っているからです。

 

変な話、日本は明治維新以来、紆余曲折があったけど、世界の先頭を走っていたし、今も続いているわけじゃないですか。それを支えたのが武士道を持った武士だと思うんですよ。ただ単に肉体的強者を作るだけじゃなくて、そういう強靭な精神力、体力を持った人間に社会のいろんな分野で働いて貰いたいなと。そういうつもりで、うちは塾なんですよ。最初、塾ってつけた時に、「今時塾なんて、古臭いじゃないか」って言われた。何々道場、何々会館って言うよりも、塾というお互い切磋琢磨するような場を作りたいなと思って始めたんですよ。そういう意味で、いずれうちから時代を動かす人間が出て欲しいなっていう気持ちでいますね。

 

中田

そういうひとつひとつに、東理事長の思いがこもっていることに心から感銘を受けています。やはり競技ということで争っている、切磋琢磨と言ってもいい、そういうケースというのはスポーツ界あらゆる所に見られると思います。それはそもそも競技自体の面白みであったりとか、正当性であったりとか、あるいは格闘技という広い意味で言えば、格闘技の中における強さを競っていたり、それぞれの会の存在意義みたいなものを発揮し合っているケースは世の中にいっぱいあると思うんですが、今おっしゃっていただいたように塾という名前をつけたのはこういう意味からなんだと。それからこの後、本当にお伺いしたいんですけども、ひとつひとつに、たとえば北斗旗の話にしても、塾訓の話にしても、ひとつひとつに思いを込めているというのは中々無い。たとえば野球やサッカーであるかといったら考えられない話だし、武道の世界で考えられるかといったら、これもあったとしても結果希薄になっているケースが多いと思うので、本当に心から敬意を表しています。

 

90年代に格闘技ブームというのが一時あったわけです。「なんで大道塾はそういうシーンに出ないんだ」と、そう言われることが随分あったんですよ。実際、みんな技術なり体力なりに自信を持っていたんで、やりたいという選手もいっぱいいて。ただやっぱり私はまだそういう時期じゃないな、と。単にエンターテイメントではなくて、武道、格闘技というのが社会から受け入れられる、そういう時が来るにはもうちょっと熟成する必要があるなと思ったのもあって、積極的には出さなかったんですよ。どうしても出たいという人間には、それはそれ以上私が踏み込めない部分だったんですけど。そういうブームが下火になって、今またもう少しブームになりつつあるので、それは間違わないように、きちんとした方向に持っていきたいな、というつもりなんですよね。

 

中田

ブームという言葉がまさに象徴しているように、別のところにおけるウケというのがあったんだろうと思うんですね。なんでウケていたのかと言ったら、人がやっていることを見ることでのエンターテイメント性であり、それをテレビ等で流すことによる視聴率、商業、売上というようなところまで、そこにおける魅力というものがあったから、みんなが寄ってきて騒ぎ、ブームになっていたはずであって。本来の主旨みたいなものがそもそもあったのかといったら、基本的には先生のおっしゃる武道の精神はなかったはずです。あったらそのままずっと、数字が取れようが売り上げが無かろうが続いていく話ですけども、一体どこへ行っちゃったんだ?というような競技はいくつもこの20年ぐらいの間であったと思うんですよね。ブームということはまさにそういうことなんだなと思いますね。

 

 

結局、スポーツを普及させるというのはアマチュアの部分がないと頭打ちになっちゃうんですよね。人気を出すにはテレビにしょっちゅう出て、派手なアドバルーンを揚げて、今度は誰と誰が戦うんだ、みたいな。そうすることが確かに観客を引っ張ってくるけども、それはあくまでエンターテイメントであって、競技そのものを応援してくれる、競技そのものを見てくれるのとはちょっと違うと思う。我々は人を制する技の応酬を競技でやるという意味でスポーツという言葉で一括りにされるんですけども、それは厳密にいえば“格闘技”で、どちらかというと強さを至上のものとする主義。確かに、誰が強いんだ?ということには物凄い興味あるけども、それだけになるとどんどんエスカレートしていって、奇想天外な試合が組まれたり、派手な方にばっかり走っていく傾向があるので。それといい対比なのが、当時、柔道は下火だったじゃないですか。格闘技がすごく流行って、全部が格闘技、格闘技で。でも今、柔道はまた盛り上がっている。柔道の選手がいろんなバラエティに出たりとか、それが悪いとは言わないけど、エンターテイメントが主になるようなことで普及してきたんじゃなくて、柔道そのものが底上げしてきたからそうなったと思うので、そこは前からだけども見習うことだなと思ってるんですよね。

 

中田

先ほど、塾という言葉を申し上げた感想になるんですが、東理事長から以前、湯呑をいただきました。この湯呑に道場訓が入っておりまして、毎日、私はこれを見ております。毎日見るためにはどこに置くのがいいかな、と。たまにお茶を飲むためだと、あまり家にいないことも時間として多いですから、お茶の機会だと減ってしまいますから、大変申し訳ないですけど、私の洗面所に置いてですね、朝、夜、歯を磨いてうがいをする時に湯呑を使っています。ですから毎日朝夕見るようにしてですね、本当に僕はこれすごいなと感じ入っていました。特に「もって人格の陶冶をなし、社会に寄与貢献する事を希うものなり」という最後の部分ですよね。そこまで明確に道場、流派、競技の目的というものがはっきりとしている。そういうところは無いと思うんですよね。

 

大抵の武道っていうのは心身を錬磨することっていうのがひとつの目的になっていますよね。じゃあその後どうするんだっていうのはやっぱりね。それによって少しでも社会に還元する、寄与貢献する。それが一番の根本だと思うので。確かに強い人を見るのは楽しいし、感動するけども、それは一過性のもので。そういう時に、「社会のために頑張ってるんだ」というのがあれば全然違うじゃないですか。社会性を持った者として在って欲しいな、ということなんですよね。

 

中田

私も「中田さん、何やってたんですか?」と聞かれて、私は空手、空手道をやってたんですって言うと、よく冗談も含めて「怖い」と言われるんですよね(苦笑)。これは理事長も何度もご経験されてると思いますけども、怖いって何なんだろうということを考えてみれば、すぐに手が出るんじゃないか、荒ぶれ者じゃないか、乱暴な人かもしれない、冗談も含めて、そういう言葉になってくるのは、強い者に対する憧れはあったとしても、その反面、強いことが独り歩きした時の在り様、表現という風に言えますよね。

 

私たちが子供の頃は姿三四郎が英雄で、姿三四郎の悪役は空手家なんですね(笑)。檜垣三兄弟が出てきて、最後には柔道に負けると。私たちも子供の頃は空手というのは怖い人たちがやるんだ、みたいな、そういう印象だった。それが大山館長の「空手バカ一代」というのが出てきて、明るく楽しく強い空手家みたいな感じが出てきた。それ以降一気に増えたと思うんですよ。ただ競技自体で言うと、私は柔道やってるからわかるんだけど、柔道というのは組んでから始まるじゃないですか。これは実戦的に言うと良し悪しがあるんですけど、とにかく柔道はスキンシップというのが普通にあるんですよ。人に触れて抵抗じゃなくて、当たり前に人に触れて競技が始まるんですよ。ところが打撃競技、空手もそうだし、ボクシング、キックボクシング、みんな離れて戦うじゃないですか。相手に捕まるということは、下手すると頭突きが来るかもしれないし、肘が来るかもしれない。そう考えるとどうしても、他人を入れたなら相手に攻撃されてしまうから、自分の制空(防御)圏というのができて、知らずに身構えてしまう。自然とそうなるんですよ。私が空手をやってたある時に偶々、「おう、東」って後ろから肩を叩かれたんですよ。その時、ビクッとしたんですよね。変な話、ゴルゴ13だったらそこで撃ってるわけですよ(笑)。空手だったらそこで裏拳とか出るのが正しいんですよ。ただ、それだとやっぱり社会的にはどうかな、と。戦国時代だったらそれで十分、それだけで完結しているけども。その時に、私は柔道やってたんで、人に触れるというのは慣れていた。競技やってた時も「東は空手の選手らしくないね」って言われて、半分嬉しいような、半分なんだろうな?、みたいに思っていたんだけど、それかなと思って。最初はうちも打撃中心だったけど、それに組み技、寝技も入れるようになると、選手のあたりが弱くなるんですよね。うちの塾生なんかはおそらく言われると思う。「空手、武道やってるようじゃないね」みたいな。それは今はすごく嬉しいですね。

 

中田

道場訓ということで申し上げれば、子供が親から言われて体を鍛えるために来ましたとか、色んなケースで入口を跨ぐ人たちがいると思います。強くなりたい、かっこいい、こういうところから入る人も勿論いると思います。端的に言えば、社会に貢献しよう、ということから道場に入る人は少ないと思います。しかし道場訓を稽古の度に唱和したり、自らがこれを色んな機会に接して読んで、という中では、やがて次第にひとつひとつ自分の生き方などに繋がってくるだろうと思うんですよね。そこは今までの長い運営の中で実感として出てきていらっしゃるんですか?

 

武道を教えるだけじゃなくて、色んな分野で社会で活躍して欲しい。そういう意味ではうちには色んな人がいるんで。交友じゃないけど長い間の、うち自体の雰囲気がある。いずれ俺たちは体を鍛えて世の中の役に立つようになるんだ、というのは自然にみんな持ってると思うんで、それは嬉しいですね。

後篇